半熟三昧(本とか音楽とか)

半熟ドクター(とはいえ気がつくと医師20年選手だけど)の読んだ本とか音楽とか

『蚤と爆弾』吉村昭

蚤と爆弾 (文春文庫)

蚤と爆弾 (文春文庫)

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蚤と爆弾 (文春文庫)

蚤と爆弾 (文春文庫)

吉村昭の一連の戦争ものを、初めに読んだのは、『戦艦武蔵』だったかと思う。
司馬遼太郎が、人物に強くフォーカスしたストーリー運びであるとすれば、吉村さんの作風は一幅の風景画のよう。
ある瞬間の光景・風景を徹底的に写実する。
特定の人物にも、事物にも過度に肩入れせず、淡々と筆が進み、デッサンは一分の狂いもない…とびっきり優秀な風景画家のような感じだ。

ま、しかし、戦争ものに関して言えば、深く静かに怒っている感じはする。


今回のこの作品は、満州にある関東軍細菌兵器開発に携わった曾根二郎を中心に物語が展開する。
とは言え、曾根二郎というのは、『不毛地帯』の壱岐正が瀬島龍三であるかの如く、曾根二郎は石井四郎。
石井部隊と悪名高い731細菌部隊と聞けば知っている人もいるだろう。

スパイや民間中国人を「マルタ」と称した実験材料とし、ペストや壊疽などの医学実験標本とするくだりは、胸糞わるくなること請け合い。
そして学術論文での公開に際しては「満州猿」という言葉を使っていたという、これも胸糞の悪さ。

終戦間際に、研究所を封鎖し、中の実験標本を証拠隠滅のため皆殺しにして、満州国から各自が内地に帰る。
帰国した後ももと研究員達は、二度と自分たちがお日様の下を堂々と歩けないことに気づき、自分たちの出自をあかせない後ろ暗い人生を送った。

しかし当の石井四郎は、針の振り切れたマッドサイエンティストらしく、アメリカが石井の実験結果を求めていると聞けば
「当然だろう。あれは優秀な実験なのだから。医学の名のもとには平等だ。アメリカが使おうが、大日本帝国が使おうが、科学的事実が正しく使われるのには、何の問題もない」と、
その行動論理はある種突き抜けた倫理観で、呆れるとともに、あっぱれでもある。
少なくともブレはない。絶対に友達にはなりたくないが。



余談だが、最近朝ドラで、憲兵隊が主人公安藤百福を拷問したみたいな話を、ネトウヨの人たちが「自虐史観も大概にしろ」とかいうんですけど、
蚤と爆弾の石井舞台だって、南京大虐殺だって、数量の多寡の問題はあるとは言え、僕はあったと思う。

ないわけないじゃん。今の日本だって、たとえば大企業のリストラ部屋とかで行われている仕打ちとか、大学紛争のときの内ゲバとか、そういう時に見せる日本人の行動の延長線上に、治安維持法発令時代の憲兵とかおるわけですよ。拷問とか、しないと思う方が不思議で、むしろその当時の憲兵に失礼な話やないかとさえ思う。日本人は勤勉だから、職務に忠実に自白を強いたら、そりゃ拷問にもなるでしょう。

別に、拷問を肯定しているわけではないですよ。逆に欧米や中国韓国が人道的だったとは思わない。
似たり寄ったりでみんなクソ。
クソみたいな世界で生きているんだと思う。
今は暴力が比較的減った時代に生きている我々は幸せだと思うよ。
スポーツ関係の「パワハラ」が取り沙汰されているわけですが、50年前なら「コーチの暴力」が問題にされることもなかったわけだから。