半熟三昧(本とか音楽とか)

半熟ドクター(とはいえ気がつくと医師20年選手だけど)の読んだ本とか音楽とか

『第二次世界大戦』上中下 アントニー・ビーヴァー

第二次世界大戦1939-45(上)

第二次世界大戦1939-45(上)

第二次世界大戦1939-45(中)

第二次世界大戦1939-45(中)

第二次世界大戦1939-45(下)

第二次世界大戦1939-45(下)

半藤一利氏が記した帯文

「東西の戦史の全容を網羅した決定版であり、正しい『歴史認識』のための必読書である」

うん、確かに。
ネットで微妙に話題になっていたので、買って読んでみました。

最近はどんなジャンルの本もKindleで購入することが多くなったが、この本はKindleには売られていなかったし、この手の専門書は今後のKindle化もあてにできない。
なので久しぶりにリアル書籍で注文すると、どえらく分厚いものが届いた。漬け物の重しになるレベルです。
しかし一旦読み始めたら止まらない。一週間もたたずに読破する。
3巻合わせて10000円程もするが、これは確かにいい本だ。がつんと来ました。



イギリス人の著作であるが、第二次世界大戦の諸相を比較的公平に書いている。

 第二次世界大戦はとにかく、複雑なプロセスの交錯する凄惨な絵巻物である。ああなって、こうなって、そしてこうなって、そしてこうなって…という前後関係が複雑過ぎるのだが、愚直な編年体をとるこの本では、その複雑さが、ある程度追体験できる。延々と続く凄惨な戦争描写にうんざりさせられはするけれども。
 戦争の描写は、比較的公平だと思う。すべての国はいろいろな戦術を選択し、勝ったり負けたりするが、勝った側がすべて最善手を選んでいたわけではないことが、わかる。日本だって、最終的にはこてんぱんにやられたけれども、敵の視点でみると、随所で、相手の肝を冷やすような戦果を挙げてはいるのだ。

 どうしても単一国家の視点だとその国なりの「正義」が混入して偏る。例えば日本人はやはり日本からの視点になる(それが、ネトウヨ大東亜共栄圏的視点であろうと、戦後左翼的な自虐史観の両極端であろうと、他国の視点を欠いているという点では同じこと)。
 わりとこの本は連合国枢軸国両方の視点で書かれており、この辺りは、イギリス人の作者のフェアな感じがうかがえる。一方的な視点による道徳的な断罪という姿勢は全くない*1

 日本人として現在語られるに足る戦中の話題はアメリカにこてんぱんにやられた戦争末期の様子か、中国戦線での非人道的な振る舞いかに限定されるが、第二次世界大戦は様々な国の様々な思惑が入り乱れた戦争であるということが、このやたら分厚い本からは感じ取れる。

 日本においては、南京大虐殺が有りや無しや、ということが論議の対象になるが、例えば、バルバロッサ作戦でのドイツの振る舞いや、その後のソ連軍の振る舞い(ソ連と中国は、実は第二次世界大戦後の方がひどいことをしているとは思う)は、もっともっとスケールのでかい非人道的な行為であり、イギリス軍やアメリカ軍にしたって、かなり非道い事例ばかりだ。日本だって、局地的な南京戦はともかく、三光作戦という言葉で表される現象すべてをなかったことにするのは無理がある。

 ただ、大戦初期のドイツ軍と日本軍が、他国を侵略するにあたり、該当地域の人間に対し、相当ひどいことをしたのは、やはり事実であろうと思う。
 ドイツ軍はソ連国内のスラブ系やユダヤ系人民については「ウンターメンシェン」(人間以下)と呼称し、虐殺・強姦・略奪・使役・強制収容が当たり前であった。またドイツ軍には、ヒトラーの信条として撤退および降伏という選択肢がなく、逆に、降伏した他国民に対して尊敬がなく、徹底的に非道なことをした。
 その反作用として、ソ連軍が反攻した際には、ドイツ軍やドイツ占領地域は徹底的に悲惨な目に遭う*2。”No Prisoner”という言葉がしばしばでてくるが、これは「捕虜をとらない」という事なんですけど、それって要するに、降伏しても殺しちゃうってこと。この態度は、ドイツ軍も、イギリス軍も、「ザ正義の味方」アメリカ軍にもしばしば見られたとある。
過酷な戦場では、降伏した者の命なんて保証されなかった。作用・反作用の繰り返しで、ルールはどんどん非道なものになっていくみたいだ*3

 同様の連鎖を考えると、極東戦域で、愛国史観の人が言うように日本軍が高潔であったとは、ちょっと考えにくい。国民党軍や中国共産党軍も全く高潔ではないのだが、そんな中で数年間恩讐のやりとりをしている軍隊が、自分たちだけフェアな戦いができるわけがないのだ。
 南米サッカーの連中と、全く手を使わずにやりあうようなものだ。

 日本軍の人肉食のことも言及されている。
 兵站の軽視により、日本軍では餓死が多かったということは一般的な事実として知られている。当然の帰結として餓死の直前の極限状況では人肉を食べて飢えをしのぐということはありうる。
 が、日本軍の場合『極限的な状況で已むを得ない』という頻度以上にこの行為が散見されたとある。
これには、かなりの証拠が残っているが、この事実は、戦死した家族への心理的な影響があまりにも大きいと考慮され、東京裁判でもあまり表に出されなかったそうだ。
 この事に関しては帰還兵の口が重いこともあり(当然だ。そんなこと、言えるわけもない)国内でも大きな問題にもなってはいないが*4従軍慰安婦の問題よりも人権問題という点では根が深いとは思う。この件に関しては私もあまり考えたくはない。

*1:あるいは。イギリスという国家は基本的には正義という自己陶酔がもともと欠如しているのかもしれない。功利的であり、どこか醒めている。

*2:ドイツ軍の侵攻で蹂躙され、またソ連の反抗で再び蹂躙されたポーランドの悲惨さは同情するにあまりある。

*3:ユーゴスラビアの内戦とか、現代の基準でみると残虐極まりないが、これの火種は、もともと第二次世界大戦に端を発しているのだから、不思議ではない。

*4:奥崎謙三の『ゆきゆきて神軍』では、このタブーに少し触れられている。しかしドキュメント映画としては奥崎謙三のエキセントリックな個性にフォーカスがあたってしまっているのが残念ではある

近藤ようこ 五色の舟

Kindle版。実書籍はコチラ>五色の舟 (ビームコミックス)
PENの漫画特集で取り上げられていたので読んでみた。
おお……これは。
久しぶりにガツンときましたね。

五色の舟は、原爆が投下される直前の広島が舞台。
とはいってもリアリティはなく、見世物小屋を営む疑似家族が主人公。
つるりとした絵柄ではあるが、描かれる内容は、暗さ重さとからりとした明るさが、同居していて、つまりはリアルなのだ。
原作の強さもあるんだろうけれど、わけのわからないものを無理やりに頭の中に突っ込まれた感覚があります。なんなんだこれは。この感覚は。


印象深かったので、幾つか読んでみた。

(書籍は>宝の嫁 (ビームコミックス)
宝の嫁 これも中世の昔話風のアンソロジー。中世の因果ものと言われる説話集をベースにしていたり。
基本的には綺譚。
どことなく諸星大二郎感がある。(書籍は>説経 小栗判官 (ビームコミックス)
小栗判官 これは ちくま文庫で中世説話ものを読んだことがある。こうして漫画で描くと、これもわけのわからないものを頭に突っ込まれた感じがします。すんません、主人公には全く共感できません。

心の迷宮(1)

心の迷宮(1)

心の迷宮
これはおそらく初期の短編集なんだろうが、これは、絵柄がのっぺりした人間交差点(弘兼憲史)という趣きだった。
勿論丁寧な心理描写など、見るべきところの多い作品だが、まあ、読んで爽快感はないです。向田邦子の短編集と同じく、本の中の虚構がやけに真実に見える。絵柄としては、近年の作品にある描線の迷いのなさは発展途上なように思いました。

[book]内田樹 『最終講義』

私はkindle版を購入しました。↓コチラです。
最終講義 生き延びるための七講 (文春文庫)
この方の話すことには、禅問答のようなパラドキシカルな含蓄があり、そこがいわゆる理系の研究家とは違ったテイストがあります。
話題によってはちょっとどうかなというような発言もありますけれども、この『最終講義』は、自分のメインフィールドである教育分野に関するお話だけあって、よく公案が練られていて、興味深いです。さすが。
内田樹入門編として、とても良さそうです。

文学研究者は 「存在しないもの 」を専一的に 「存在しないもの 」として扱っている 。その点では他の人文科学や社会科学よりはだいぶ 「正気 」の程度が高い 。

高度な内容をわかりやすく伝えることことは、そのための才能も要するし決して簡単ではないのに、知的生産の観点ではゼロ査定に甘んじる必要があるである。

上機嫌でいることが、もっともパフォーマンスをあげる

僕は学問をするのは自己利益のためじゃなくて 、 「世のため 、人のため 」ではないかと考えているわけですが 、そういう僕の考え方そのものが実はかなり日本ロ ーカルな 、民族誌的偏見ではないのかと思った。
そういえば 、自分の知能がいかに上等であるかを恥ずかしげもなく披瀝するという傾向はとりわけ欧米で高等教育を受けてきた諸君に強いように思われる 。もしかすると 、彼らの方がグロ ーバル ・スタンダ ード的には 「正常 」で 、僕の考えるような 、自分の才能を自分のために使うのはよろしくないという発想の方がむしろ 「病的 」なのかも知れない。

ねー、面白そうでしょ?
この本はウチダ度が、他の本より高めな気がしました。

このかたのスタイルは、無造作にすたすたと歩くかのように考察を進めちゃうようなところがあって、その分痛快なんですけれども、しかし逆に学問的な堅牢さはない。そういうスタイルって誰かに似てると思ったけれども、多分あれだ。岸田秀

「ものぐさ」の岸田に対して「街場」の内田。昭和と平成の好対照である。

[book]プレデター・シンキング

プレデターシンキング/略奪思考 欲しいものはすべて「誰かのもの」

プレデターシンキング/略奪思考 欲しいものはすべて「誰かのもの」

プレデターシンキング/略奪思考 欲しいものはすべて「誰かのもの」(書籍版)

食うか、食われるか――それが人生の本質だ。
「獲物」ではなく「捕食者(プレデター)」になれ。

自分が何かを「得る」ということは、誰かから「奪う」ことに他ならない。売上も、人気も、異性も、地位も、名誉も、自由も……欲しいものが何であれ、誰かから奪わなければ手に入れられない。そして、誰かが勝つには、誰かが負けなければならない。この世では誰もが「捕食者(プレデター)」であると同時に「獲物」でもあるのだ。広告業界の重鎮が選び抜いた古今東西の様々なエピソードが、「勝てないあなた」に足りないものを教えてくれる。クリエイティビティに他人を出し抜き、必ず「結果」を手に入れろ!

常識的な人々が望むのは枠にはまることだけだ。だから、他人に言われたことを疑問に思わない。だから、大したことができない。大切なのは、選択肢を増やすことではない。選択可能な状態にすることだ。あなたの常識を破壊する、63のエピソード。

というたいそうな煽り文句で紹介されているこの本。なんかでオススメされていたので買って読んでみました。

んー。
知識というより、知恵のようなものを伝えようとしている。
わかりやすく言えば、とんちですよ、頓智

専門領域で頭を働かしている時に、どうしてもその領域内での思考にとらわれて、視野狭窄に陥いってしまうことがしばしばある。そういう時に深くもぐることをやめて、少し離れて考えると、一般常識のレベルまで思考の深度をさげると、すっと答えが出てくることもある。

おそらくstreet cleverな人の存在意義って、そういうところにあるのだと思う。

もともとは広告業界の人が、その中で生き抜く上でのエッセンスという文脈なのだが、そういうアプローチの話なものだから、割と普遍的な話でどの業界でも通用するだろう。

すこしどうかなと思うのは、タイトル。
これってプレデターシンキング、なのか?
しかも原題はpredatoryと微妙に改題されているし。

じゃあ、どんな題名がいいだろう… うー
「街場の広告論」?
あ、これ内田樹だ、というか、内田樹氏が広く受け入れられるのは、高次の領域の話をstreet cleverのレベルで論ずることができるからだ。あー。
街場の戦争論 (シリーズ 22世紀を生きる)
街場の教育論
街場のメディア論 (光文社新書)
街場の文体論
街場の共同体論
街場の現代思想 (文春文庫)
街場のアメリカ論 (文春文庫)
街場の憂国論 (犀の教室)
街場の憂国会議 日本はこれからどうなるのか (犀の教室)
街場の読書論
街場の大学論 ウチダ式教育再生 (角川文庫)
増補版 街場の中国論
全部拾えてるかわかんないけど、街場シリーズすごいなあ。

かくかくしかじか

東村アキコの半自伝的漫画。
漫画家になるまで、そして美大受験を契機に出会った「日高先生」とのエピソード。

kindleでまとめ読みしたのだが、最終巻だけ出るのが遅くて漫画喫茶で5巻だけ先に読んだりもしました。このほど無事kindle版も発売され、再読したわけです。感想は1-5巻通じてのものです。

若気の至りのような子供時代の妄想とか、黒歴史みたいなものも隠さず淡々ともちだすのは、ある程度地歩を固めた今だからこそ書けるのだろうなと思う。まんが道とかと同じで。

本人も言うように「話を盛らない」率直な文体ですが、ギャグ漫画家としての鋭い視点で物事を眺めてるせいか、面白そうに語っていないだけで、やはり滅法面白い。表現が細やかで日常をうまく切り取って。

漫画家になるという経験は特殊だけど、紆余曲折を経て人生の道が決まる、その過程で、悩んだり、甘い見通しを痛烈に思い知らされたり、思いもかけないことで道が開けたり。そういう体験は皆同じで、だからこそ普遍的な共感を得るのだと思う。

そして、若い時に岐路に立たされた時の行動なんて、人として正しいことが常にとれるわけでなくて、時にひどく利己的であったり、せっかくの好意を踏みにじったりだったりして、それは思い出したくないような、封印すべき過去になる。あまり思い出したくないことを、記憶のとじこめてるひきだしを少しだけ開けて、えいやっと一気に書き上げてるということを作中でも言ってたが、これを正面から向き合って書くというのは、とても勇気のいることだし、だからこそ読者である我々にその切迫感が伝わるわけです。

結局のところ、漫画家としてやっていくことを決めたその道のりと、画家になるのを断念した苦さと、その二つが正直に描かれているから、『まんが道』のような成功した作家の回想録にはない陰翳があるんだと思う。

泣ける、という言葉はあまり持ち出したくはないのですが、心の奥の大事なところに響いてしまう。

どうしよう、こんなの持って行ったら
「天才がやってきた」ってびっくりされちゃう
肥大化した自意識

しかしなんで若い時って
出来るのに出来ないふり
しんどくないのにしんどいふり
楽しいのに楽しくないふり
なんだってできたはずなのに
無敵だったはずなのに

大人になった今
そんなことばかり考えてるよ
先生

佐藤優『人に強くなる極意』

外務省のラスプーチンこと佐藤優氏の著作は、私的なことを言えば、リアルな書籍から電子書籍に乗り換える時期に読み始めたので、本棚にはないけど、電子書籍には、今検索すると5冊あった。
かなり多作な方だけど、書き散らしている感じはなくて、安心して読める*1
ただ、さすがに数冊横断して読めば共通する話は多い。人一人が経験できることなんて限りがあるのだから当然だとは思うが。
ええと、電子書棚にあったのは『修羅場の極意』『人たらしの流儀』『「知的野蛮人」になるための本棚』『交渉術』だった。
最初に読んだのは、交渉術だっただろうか。

で、今回読んだこの本は、もとは新書なので、章立てで比較的コンパクトに読める。
「怒らない」「びびらない」「飾らない」「侮らない」「断らない」「お金に振り回されない」「あきらめない」「先送りしない」

 人付き合いをするにおいて、「きちんとする」ためにはこういうところに気をつけたらいいですよー。
一言で言うとそういう本。

 ある種、社会人の先輩からの忠告のようなもので、豊富なエピソードを用例に、いいことが書いてある。読むと、何かしら見えてくることがあるので、人付き合いが苦手な人には、一読の価値あり。

あと、各章の参考文献が、割と勉強になります。

*1:多作な方の場合、読んでも同じ部分が多かったり、構成がとっちらかっていたりすることもよくあるので

合本『義経』司馬遼太郎

新装版 義経 (上) (文春文庫)

新装版 義経 (上) (文春文庫)

新装版 義経 (下) (文春文庫)

新装版 義経 (下) (文春文庫)

私が読んだのはKindle版の合本でした。

多分、過食症の人って、一旦食べだしたらフリがついて止まらないということがしばしばあると思うのだけれど「過読症」と自己診断している自分も一回読み出したら止まらない。
このまえの大型出張中に司馬遼太郎を読んだのだが、それをきっかけに『項羽と劉邦』(これは僕が中一の時に読んだ初めての司馬ものなのだが、これはまたの機会に)と『合本・義経』に手がのびてしまった。あと『街道をゆく』の既読本を読みなおしたり。

一年程前に吉川英治の『新・平家物語』を読んだのだが(その時の感想はコチラ→http://d.hatena.ne.jp/hanjukudoctor/20141221)司馬の義経伝ということになる。
 いわゆる世間一般の「判官びいき」という言葉に挑戦するかのように「戦争は抜群にうまいけど、ちょっと幼児性が高くて、政治的文脈を全く理解できない、ちょっとヘンなやつ」という、かなり斬新なキャラクター造形でした。でも、確かにこういう性格であれば、平家物語(いわゆる現代語訳を読んでも、ものすごくいきいきとその人物造形がなされていると思う)のエピソードがすんなり理解できるわけだ。
で、そう考えると、義経の末路は、悲劇的ではあるが、まあはっきりいっちゃって自業自得だと思う。
もし「歴女」とかがいる現在に司馬がこの本書いてたら、義経ファンに刺されたりするんじゃないの?と思うくらい、身も蓋もない書き方だけどね。

『逆説の日本史』とかで書かれている義経の政治オンチの話も、司馬遼太郎が全部書いてることで、ただの通俗小説でここまで資料を元に人物のプロファイリングをする司馬ってやっぱりすごいよなあと思った。
 * * *
あと、後白河法皇の人物造形が、かなり出色で。

いわゆる後世語られる「義経都落ち」については、後白河目線で「そういえばあのクラスメート、最近学校に来なくなったけど、どうなったの?え?自殺したんだ。ふーん」くらいのタッチでさらりとばっさりカットで実にクール。
後白河法皇、上司には絶対したくない(けどまあまあお見かけする)タイプ。

―牛車を、牛車を。
と、法皇は連呼しつつ走った。目的は市中に車を出して義経の落ちゆく姿をみたいがためであり、その理由はまず好奇心からであった。法皇は平家の宗盛らが捕らえられてきたときも、女房車に乗ってひそかに見物した。それとおなじ物見高さが、この日本におけるもっとも尊貴で、もっとも権謀ずきな、そして臣下の浮沈などは一場の影絵芝居ほどにしかおもっていないこの人物の心を、いまその目的にむかって掻きたてていた。

ちょっとここの文章、締め切りに追われてるのか、司馬にしてはやや乱れてますが、実にイヤーンな描写である。

司馬は、作中の人物に対する好悪をわりと隠さない。(多分いちばん嫌いなのは石田三成義経に関しては、全否定ではないが、どっちかというと嫌い、後白河法皇はやや食傷気味ではあるが、やや嫌いだが、好きな部分もあり、と見た。

文中の関連書籍は↓
項羽と劉邦(上中下) 合本版
新・平家物語 完全版
逆説の日本史5 中世動乱編/源氏勝利の奇蹟の謎