半熟三昧(本とか音楽とか)

半熟ドクター(とはいえ気がつくと医師20年選手だけど)の読んだ本とか音楽とか

『無理ゲー社会』橘玲

安定の橘玲
主張されるコンセプトは基本的に大きく変わらないのに、飽きられていないのは、メディアに露出したりの二次情報、二次利用が少ないからだろうか。


今の社会を生きることはとてもむずかしいよね。無理ゲーだよね。という主旨。
才能ある者にとってはユートピア、それ以外にとってはディストピア。一握りの人間にだけ生きやすい社会になっている。
でもそれは、皆が自由で公平な社会を目指し、それが達成されたからこそ生じているという矛盾。地獄への道は善意で敷き詰められている、ってやつ。

20世紀を経て、出自や属性による差別はどんどん解消されていった。
公平と平等。
すべての人間が公平なスタートラインに立つ。それはいいことだし、人間社会の進歩なのは間違いない。
しかし機会の平等が成立し公平な社会になればなるほど、その能力の発露の結果として格差は拡大してゆく。
一部の能力のある人間が成果を独占する社会になる。
これがメリトクラシー社会の本質。
リベラリズムを極限まで推し進めるとこうなる。アメリカのリベラル、民主党支持者たちは皆こういう考え。

だからこそのトランプ政権が成立した。
そういう図式が成員全員の賛意を得られうるものではないことを示した。残念ながら一期しか保たなかったが。

おもしろいのは、この文脈に沿って考えると、大学無償化は必ずしもいいこととは言えない。
昔は貧困層だけど能力の高い人材にチャンスを提供する意味で学費の無償化は意味があった。
しかし能力格差による賃金格差を考慮すると、大学の無償化は税金を、高能力に還元する。
はっきり言えば格差の拡大に手を貸すことにほかならない。

リベラリズムが推し進めたもの

  • 世界の複雑化
  • 中間共同体の解体
  • 自己責任の強調

メリトクラシーは知能格差がダイレクトに経済格差につながることを示すが、現実はさらに酷薄で、知能格差が性愛格差につながり、高能力者が恋愛の相手を独占する現象が生まれている。

一夫一婦制は、低層の男性にも女性を供給するという意味でメリットがあった。
しかしメリトクラシーでは「負け組」男性は家庭も持てないという絶望社会だ。
これが最近起こっていることで、女性に選択権があればアルファオスによる一夫多妻制になりつつある。まあ、これは動物の社会に近い。

「能力と遺伝に関する不都合な真実」の話は「言ってはいけない」と同様の主張。移民問題も、どっかでみたような気がする。
橘玲の主張は常にぶれていないよなーと思う。

本書では、こうしたメリトクラシー社会に対する歪み、格差の拡大に対する処方箋が一応紹介されている。
累進課税は一つの方法。
共同所有自己申告税(COST)、これは私有財産に定率の税をかけるものらしい。

この本にはなかったけど、ミヒャエル・エンデもちょっと触れていた、時間が経つと逓減(逆の利息がつく)貨幣というアイデアもあるような気がする。

私はこういう社会を変える立場の人間ではない。こういう社会でどう振る舞えば幸福を最大化できるかを省察するしかない。

幸い私はそういうメリトクラシーの中で有利なポジションにおさまることはできた。自分の子どもたちも、この世の中の理、ルールブックをよく理解してほしいな、と思う。