半熟三昧(本とか音楽とか)

半熟ドクター(とはいえ気がつくと医師20年選手だけど)の読んだ本とか音楽とか

相対論がもたらした時空の奇妙な幾何学―アインシュタインと膨張する宇宙 アミール・D・アクゼル

 この本の半分は家で、半分はお散歩しながら読みました。
 家の近くにはお城があって、その近くは公園になっています。散歩にはちょうどいいところで、公園エリアの一角には美術館と博物館があって、結構広い芝生があるのです。
 午前中に行けば、散歩&光合成中の年寄りがいるし、夕方に行けばそこでサッカーとかしている若者がいたり、まぁいわゆる市民のレクリエーションの場ですね。そこのベンチに寝転がってぼんやりと読んでいました。


 アインシュタインの半生と相対論の発展について、それからリーマン幾何学について。最後に最新の宇宙論について。
 テンポよく書かれており、この分野にはそれほど詳しくない僕にもすんなり頭に入りました(理解できたかどうかは聞かないでいただきたい。僕の数学的知識は線形代数の初歩で止まっており、ゼータ関数とか全然わからん。意味もわからんし概念としても理解できないレベルです)。


 しかし、宇宙は膨張し、なおも加速しつつあるとはなあ。
 最近の宇宙論では、ひところ言われていた「膨張し、ある段階で収縮に転じ、というのを繰り返すモデル」はどうやら違っていて、宇宙は膨張を続けており今もその膨張は加速を続けているという意見でまとまりつつあるらしいんです。
 で、前説の「膨張→収縮」モデルが今まで主流だったのには特に根拠があるわけではなく、あくまでもドグマティックな受け入れられ方をしていた。結局のところ、なんとなくそういう風にあれかしと皆が思っていたからのようですね。その辺を詰めなおすと、どうやら違っているらしいという感じのようです。

 この辺の学問的な「願望」と「実体」の解離は、ダーウィニズムのそれと似ているように思います。ダーウィンは最適化と選択ということしか言っていず、ましてや人間が進化の頂点なんて一言も言ってないのに*1、「進化の階梯」というものがあり、人間がその頂点に君臨するという進化モデルをみんななんとなーく「ダーウィン進化論」として受け入れているわけです。現在では、人間は最も複雑かつ大きな生命体であることは間違いないものの、種として最も成功し繁栄しているというわけではないと理解されています。

 話を戻しますが、なぜ「膨張→収縮」モデルが受け入れられたかといと、確かにこれだと対称的でモデルとしても美しいし、我々の自然観とも合致するからでしょう。東洋的な思想とか、そういう宇宙論とある種通ずるところもある。
 一方的に膨張が加速するモデルというのは、恒星間の距離もどんどん離れ、最終的には冷えて熱力学的には死んだ茫漠とした空間しか残らないのだろうと思われます。
 古来より「来世」という虚構を持ち出さないと個人の死さえ受け入れられない我々にとって極めて受け入れがたい概念であるように思う。


 ま、かといって現実的な生活には全く関係はないんですけれども。

*1:むしろ彼は徹底したリアリストかつ唯物論者であった