半熟三昧(本とか音楽とか)

半熟ドクター(とはいえ気がつくと医師20年選手だけど)の読んだ本とか音楽とか

『竜のグリオールに絵を描いた男』ルーシャス・シェパード

竜のグリオールに絵を描いた男 (竹書房文庫)

竜のグリオールに絵を描いた男 (竹書房文庫)

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竜のグリオールに絵を描いた男 (竹書房文庫)

竜のグリオールに絵を描いた男 (竹書房文庫)

何を隠そう、昔はファンタジー好きであった。SFとファンタジーが好きな中学生。まあ類型的ではある。

時は一八五三年、はるか南の国、われわれの住む世界とほんのわずかな確率の差によって隔てられた世界で、グリオールと呼ばれる竜がカーボネイルズ・ヴァリー一帯を支配していた。

しかしこの竜はとにかく巨大で、一マイルほどもある。
今では基本的には活動を停止した竜の周辺で起こるいろいろな人間模様。

巨大な竜、という突拍子もない設定ではあるが、筆力によって、その一見ありそうもない設定の中、運命に翻弄される登場人物たち。交錯するそれぞれの奇妙な人生の背景には、今では動かなくなった竜が、陰に陽にその地域の人間心理を超自然的な力で影響を及ぼしているらしい。
ありそうもない設定も、作者の筆力と想像力ならではなのか、ありえなさそうな設定にも臨場感がある。

寓話的な要素は強い。かといって別にありきたりな教訓には導かれない。
強いて言うとすれば。

一個人の自由意志なんて、時代精神や上位構造に影響されることを、人は普段意識しない。
ときに上位の存在に気づくと絶望する。
多くの人間は自分たちを支配する存在に耐えられない。
ということだろうか。

表紙絵は往年のファンタジー文学を思わせる絵柄の竜の絵。
しかし『指輪物語』とか、そういう古典的なファンタジー文学にある爽快感のある読後感は全くない。
子供が読んでワクワクするような要素も全くない。
どちらかというと、これはある種のディストピアだもの。

ゲド戦記の6巻の読後感のような、ポストモダン感があります。

アースシーの風―ゲド戦記〈6〉 (岩波少年文庫)

アースシーの風―ゲド戦記〈6〉 (岩波少年文庫)

現代はVUCAという言葉に象徴される「先の読めない時代」であるが、ファンタジー文学でさえも時代精神に影響される。普遍性には欠けるような気がする。この作品がたとえば100年後に残っているとしてどのように受け止められるんだろうか。
ただ未来に何が待っているのか、今ひとつよくわからない。

『80's〜エイティーズ ある80年代の物語』橘玲

80's エイティーズ ある80年代の物語

80's エイティーズ ある80年代の物語

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振り返ってみれば 、バカな頃がいちばん面白かった 。だけど 、ひとはいつまでもバカではいられない 。そういうことなのだろう

 少し前から橘玲という作家が気になっていた。

 本名もプロフィールも詳細を明かさない作家。顔出しで対談とかはないものの、コンスタントに現代の世相に対して切り口の鋭い論評を行なっているのはみなさんもご存知の通り。*1

 確か最初に目にしたのは資産運用とか経済方面の本であったと思う。

臆病者のための億万長者入門

臆病者のための億万長者入門

しかし、気がつくと文化・哲学方面や、比較的新しい自然科学に関する著作など、全方位に深みのある問題提起ができるので「一体この人はなんなんだ」と思った*2

残酷すぎる成功法則

残酷すぎる成功法則

(日本人)

(日本人)

この本はそんな謎に包まれた橘氏本人が語る、ある種の自伝。今までの歩みを綴ったもの。

大学生の頃のぼくは 、ゴ ーゴリの 『外套 』やドストエフスキ ーの 『地下生活者の手記 』に強い影響を受け 、 「社会の底辺にこそ 〝ほんとう 〟がある 」と思っていた 。それを 、まともな会社に行けない言い訳に使っていたということでもある

高校時代、大学生、そして零細出版社に入り、ドラッグなどのサブカル、スピリチュアルの世界とか、部落差別の虎の尾を踏んだエピソードとか。サリンとか、オウムの事件の雑誌記事では濃厚に関わっていたようだ。

話は1995で終わり、橘玲として現在に至る軌跡はうかがいしれなかったが*3、80年代の出版業界の喧騒がほの見えて、これまでの作品では見えていない新たな一面が見え、興味深かった。

個人的には「朝日ぎらい」「言ってはいけない」「(日本人)」は割におもしろいと思いました。
「読まなくてもいい本の読書案内」については、ここ20-30年での知の領域でのアップデートを示してくれているので、割に大事と思った。

*1:ちきりんさんは対談なども積極的に行うけれども顔面はイラストで隠す。そのスタイルもとらない

*2:当初思ったのは「さいとう・たかを」の都市伝説にあるような個人ではなく作家集団に「橘玲」という個人名を冠したのではないか、ということ。ある種の意図を持って論壇に登場したと推測したこともある。そうとしか思えない引き出しの多さだったから。

*3:多分あまり語ることはないのかもしれない

「カメラを止めるな!」観てきました

学会で東京に行ったのですが、金曜日の夜は予定も入らず、まあまあ暇していたので、ちょっと有楽町で買い物をしたあと、話題作「カメラを止めるな!」をレイトショーで観に行きました。なんとなくネットで近くの映画館を予約して行ったのですが、行ってみると、東京ミッドタウン日比谷っつーんですかね?そこでした。

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きれいな建物ですねー。
ま、それはさておき。話題なだけあって、レイトショーにもかかわらず、7〜8割くらいの入りで、大盛況でした。

両隣ともカップルで、あたしゃあ気まずいのなんの。映画は「おひとりさま」としてはハードル低いと思うんですがね…
まあいいや。


……

……!!

面白い!!

なるほど。もう公開されて話題にもなっているのでネタバレ云々はいいのかもしれませんが、確かに事前情報なしに観たほうが面白いので、ストーリーについては申し上げませんが、確かに話題になるだけのことはある映画でした。個人的にはヒロインが小西真奈美っぽい奥目の子*1であるのも、ちょっとよかったです。ちょうどいい塩梅のルックス。

個人的なことをいうと、私は映画あまりみないわけで、出張先で映画を見るとなるとさらに少ない。乏しい記憶を思い起こしましたが、奇しくもゾンビ映画の「28日後…」だったと思います。調べてみたら…えー?2002年?16年も経っているんだ……

28日後... (吹替版)

28日後... (吹替版)

これはこれで、まあ、ゾンビ映画、だよね。全然違うけど。
これ以降は地元でみている。あとはひかりTVとか、そういうやつ。

後、エンドタイトルででてくる曲は、いい曲なんだけど、完全に I want you Back。
まあ、わかるよ、I want you backをエンドタイトルで使いたい気持ち。

Keep Rolling (映画『カメラを止めるな!』主題歌) [feat. 山本真由美]

Keep Rolling (映画『カメラを止めるな!』主題歌) [feat. 山本真由美]

*1:誰が言ったか覚えていませんが「奥目にバカなし」という言葉もございまして……

『ナナメの夕暮れ』若林正恭

ナナメの夕暮れ

ナナメの夕暮れ

Kindle版はこちら。
ナナメの夕暮れ (文春e-book)

ナナメの夕暮れ (文春e-book)


オードリーの若林によるエッセイ。知人がfacebookで褒めていたので読んでみた。
うん、これは俺だ。

 * *

若林は、テレビでみても、強烈な魅力を放つ異能の者ではない。かといって慈愛に満ちた常識人でもない*1
いってみれば、自意識過剰気味の、悩める若者。

屈託のない「リア充」を遠くから眺める壁の花。やりもしないで「どうせつまんないに決まってる」とイソップの「酸っぱいブドウ」のようなマインド。

内 (自意識 )を守るために 、誰かが楽しんでいる姿や挑戦している姿を冷笑していたらあっという間に時間は過ぎる 。だから 、僕の 1 0代と 2 0代はそのほとんどが後悔で埋め尽くされている

ただテレビで売れっ子になりつつ経験を重ね悩みながら*2彼自身のマインドも少しずつかわる。

消極的に言えば、それは老いたために「こじらせ」の耐久力が落ちたからでもあるし、よく言えば、非生産的な考え方から脱出できた、とも言える。
彼のマインドや行動も徐々に変わり、徐々に「普通のこと」を楽しめるようになり、結果として現在の彼の立ち位置を楽しみ受け入れるさまが、このエッセイでは徐々に示される。それ以前には、独白が自意識過剰ゆえの居心地の悪さで占められていたことからすると、これは大きな変化だ。
「こじらせ青年」から「うけいれた中年」への、これはある種のビルドゥングス・ロマン(成長譚)といえるのではないか。

人間が狩猟生活をしていた時代に 、今居る場所から移動して新たな食料を得ようとするのがポジティブな人間なら 、移動先には予想できない危険があるかもしれないから 、移動しない方が良いと主張するのがネガティブな人間だと書いてあった

スタ ーバックスでグランデと言えなかった若い時の自分 。その自意識過剰は 、あり余る体力だよ 。

振り返って、自分。
開業医の息子であり、関西圏の国立大学の医学部、そしてジャズとか趣味として演奏する。これって客観的には、めちゃリア充ですよね?
だが、若林と同様の内弁慶自意識過剰で、モテなかったし*3、彼女とかできても、結婚しても、子供ができても、どことなく「チェリー感」がどうにも拭えない感じがするのは、なぜなんだろう。
中高一貫の男子校という出自は男女関係の人格形成にここまで悪影響なんだろうか*4

*1:たとえば、関根勤さんを思い浮かべた。まああの人もある種の異能人ですけど。

*2:その中には数々あったであろうタレントならではのおいしい出来事も自意識ゆえに随分スルーしたに違いない

*3:モテないというのは、単に女性にぐいぐいアプローチしないわけだが。

*4:ただ、共学だったらリア充だったのか、と言われると、それは言い訳にすぎないのだろう。一度嫁に「あんた『共学だったら彼女出来てる』って何の根拠もなく思ってるやろ?」と言われたことがある。

Born to be Blue (ブルーに生まれついて)

amazon primeで観た。
 映画館でやっていたときにも、気にはなっていたが、2015年の私には映画館とは子供の機嫌をとりに妖怪ウォッチ*1アイカツを観に行く、ある種必要悪の場所だった。この時期映画館にわざわざ行きたいとは思わなかった。ま、今でも映画はいかない。二時間ぎっちり拘束される時間はなかなか捻出できないから。

 控えめに言っても、私はかなりチェット・ベイカーが好きな方だと思う。
 これを書くためにiTunesの中を調べてみるとChet Bakerのリーダーアルバムだけで21枚あった*2

 ソロのコピー(Transcribe)も10曲以上しているはずだ。だから僕のアドリブには軽妙なチェットのリックがちょっとさしはさまれてしまう。
「♫チェット生まれ神戸育ち、可愛い子とは大体友達」っていうのが僕だ。

そんな私がみても、イーサン・ホークの演技はうまいなと思った。
というか、顔とかめちゃめちゃ似ている。
Lets Get Lostでの晩年のチェットの顔貌をよく研究していると思う*3
 歯を折られて、もさーとした、ジャンキー特有のどろりとした顔を忠実に再現している。また、少し背を曲がった、世捨て人のような、スポーツできなさそうな歩き方も、おそらくチェット・ベイカーを丁寧に演じているのだろう。

 しかし、シーンの少なさ、広い空間を活かした画面づくりのなさからいうと、これはやはり低予算映画なんだろうな。

 * *

 楽器奏者からするとイーサン・ホークの吹き方はとても息が入っているとは言えず、噴飯ものではあるが、これも現代の名優が僕の大好きなチェットのモノマネをしてくれていると思うと、腹も立たない。少し気になったのは、劇中曲。
 Chet Bakerは楽譜が読めないので、レパートリーは極端に少なく、晩年は本当同じ曲ばかり繰り返して演奏している。
 劇中の曲を、もっとその偏ったレパートリーによせてくれればよかったのに。
 How Deep is the oceanとか、But Not For Meとか、Look for the Silver Liningとか。

 でも、口ぐちゃぐちゃになったあと、人前で吹くときの、音が出るか?出るか?という、緊張感を秘めて音を出すシーンとか、すごくよくできていたと思う。

 以下、少しネタバレになる。

*1:気がつけば妖怪ウォッチは跡形もない。プリキュアなどは今も生き永らえているが、あれは本当に一過性のものだったなあ。

*2:ちなみに私的ベストはChet Baker in TokyoとSteeple ChaseでのDoug Raney、Pedersonのトリオの作品である。

*3:もっともこれを演技というかどうかって微妙な話ではある。「モノマネ」じゃないのか。だとしたらコロッケは最優秀助演男優賞くらいとれるのではないか。

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池袋ウェストゲートパーク

池袋ウエストゲートパーク 合本1〜10。Kindle日替わりセールで1999円だった。
初出の頃は確か医師になりたての頃。熱心に紙の本を買っていたし、ゼロ年代の空気感を行間から感じ取れるような気がした。
地方にしか住んだことがない僕にとっては、東京の下町に住み、学歴や肩書など社会的立場などはないがスマートに物事を解決し(Book Wiseな自分に対するStreet Wise。どんな時代にもStreet Wiseが最強だと思う)、東京を縦横無尽に駆け回る主人公にある種の憧れも抱いた*1
ただこちらの変化*2か、時代との適応か、いつしか僕の熱も冷め、文庫の購入は本棚を見るとどうやら8巻で止まっていた。

合本、一巻あたり200円か……ということで買ってみた。
JazzのCDで、往年のアーティストのコンピレーションでSeven Classicsというのがある。7枚分でも1000円とかどえらい安い。5枚くらいもうその人のCDもっているときにこれを買うときの気分かな。

久しぶりに読み直してみると、鮮やかにみえた文体も、ある種の様式美であり、ストーリーも通俗小説の域を出ない人情物のように思われた。素材は現代だが別に書き方は新しいものではないなあ、という落胆。僕にとっては「IWGP」も「剣客商売」も自分の住んでいない街の出来事なんだ。
キラキラと美化されていた石田衣良のイメージもメディアに本人が出るようになると、どうも目が細くぼんやりした顔立ちでもあり、少し幻滅したり。読者なんて勝手なもんですね。

ただし私はクラシックは聴かないのだが、この小説では文中にクラシックが、まるで「今週の一曲」のような感じでBGMよろしく取り上げられる。時間があれば、このクラシック作品は追体験してみたいと思う*3

それから、10巻合本だから、これで一区切り、これで池袋ウエストゲートパークとは訣別……と思ってたが、どんどん新作が出ていて、三毛猫ホームズ化しているようだ。
たしかに魅力的な舞台、登場人物だが……
えー。

現代では、売れているものは、容易には死なない。

*1:のちに音楽をやりに池袋に降り立ったときにIWGPをみたが、なんか拍子抜けしてしまった。どこにでもある薄汚い公園だったから。

*2:20代から、気がつくと 40代。青年から中年へクラスチェンジ。

*3:検索するとネット上にいくつか表もあるようだ。

『米中もし戦わば』ピーター・ナヴァロ

米中もし戦わば

米中もし戦わば

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米中もし戦わば 戦争の地政学 (文春e-book)

米中もし戦わば 戦争の地政学 (文春e-book)

中国が今や経済大国であり軍事大国なんだけれども、実際今後の世界はどうなるのか?ということを論じた本。
想定しているのはアメリカ人の読者。著者は有名な『中国脅威論』論者。

今まで公開されている中国人民解放軍の足跡から、中国政府と軍の戦略の考えを推測する。
「相手の立場に立って考える」ということをすれば中国の考えることは見えてくるよ。というのが筆者の論点。

  • 中国はおよそ100年間、様々な帝国主義国家に国土を蹂躙されてきた。二度とこのような目には会いたくない。
  • かといって相手は世界最強最大のアメリカである。
  • どうすればいいか。

読んでいて感じたのは、中国軍の方が、自衛隊よりも忠実に「専守防衛とはなにか」ということを真摯に追求しているように思われたことだ。もちろん中国軍は専守防衛だけではなく、例えば南沙諸島を占拠したり、格下の相手にはアンフェアな手も辞さず戦略目標を遂行する。地域覇権国家になるため、きちんとPDCAをまわしている。
そして仮想敵国アメリカに対しては、きちんと「相手の嫌がること」を研究してその準備をしている。鍵となるのは非対称戦略。いくらアメリカの空母が最強であろうが、一隻数十億ドルの空母を一発500万ドルもしないミサイルで飽和攻撃したら制圧することは可能だ。
卑怯と言われようと、明白な劣勢の中で勝つための手段を、きっちり遂行するためのシミュレーションを怠らないのが、中国軍の強さだろうと思う。

仮想敵国アメリカを想定することにより、中国軍は圧倒的な強さも身につけられたし、例えば日本と戦うという場合に、ある程度いろいろな戦術的な選択肢をとりうるだけのカラフルな軍事力をもつようになった。

対して、日本はどうか。
わたしも日本の自衛隊は決して弱くはないと思うが、そもそもきちんと相手をみているのか、相手の手筋を読んでいるのか、という観点で心配ではある。
今の日本人は(いや昔からかもしれない)夜郎自大的であれ、謙虚であれ、相手をみない傾向がある。「自分に勝つ」つまり克己ということばかり気にする。相撲とかでも「自分の相撲がとれました」みたいなことばかり言うでしょ?戦争というのは自分の相撲が取れても、相手に負けてしまったら意味がないのである。どんなに不本意な戦い方であったって、勝たなきゃ。
太平洋戦争にしてもそうだった。アメリカを仮想敵国としながら、相手の研究もせず(した研究班は「どうしたって負けます」という結果を参謀本部に突きつけたのだが黙殺されたというサイドストーリーもあるが)夜郎自大的な価値観に溺れ自滅した。
でも、今の日本人は、その教訓も全く生かせていない。「日本すごい」「クールジャパン」とかいって客観性を失っているようでは、実力もいかせないだろうと思う。