半熟三昧(本とか音楽とか)

半熟ドクター(とはいえ気がつくと医師20年選手だけど)の読んだ本とか音楽とか

頭のいい美人にあこがれる『いつかたこぶねになる日』『卵一個ぶんのお祝い』

去年読んだ。
著者は俳句をする、海外(南フランス)に住んでいる小津夜景という方。
日々の生活の素描と、それと対比するかのように、古今東西漢詩をとりあげて、その現代訳を紹介している、という体裁のエッセイ。

静かに描かれる日々の生活と、それに対する感想。
そして、それに対して「こんな漢詩はどうだろうか」という感じで対比するお題の漢詩を紹介する。

とても読みやすく、平穏な読み心地でありながら、ぴしっと決まっている。

とてもさりげなく無作為なエッセイであるかのように一見思えるのだけれど、
こんなのはなかなか書こうとおもっても書けない。
日常生活に対する粒度の細かさも必要とされるし、
漢詩世界のアーカイブがないとこのような形式のエッセイを書くことなんて不可能。
毎日をきちんと暮らしている生活者としての強度ももちろん必要でもある。

なので、平易な視点でなんでもない雰囲気を見せつつ、ただならないことをしているよなあ…と思った。
もちろん、そんなことは本文には関係ないこととで、気軽に、楽しくすいすい読める愉快な本である。
そして、拒否反応を示し難いな漢詩ってものも、やさしく噛み砕いて現代訳してくれることで、
本来は楽しくすいすい読める愉快なものだということを垣間見させてくれる。

ひところは川上弘美さんの本をよく読んでいた。
この本は東京日記と題して書かれた日記的エッセイ。
空白を生かした、リズムのよい文。
内容はまあ綿菓子のようなもんで、栄養になるようなものではないが、とにかく口当たりがよい。
壇蜜さんの日記もよいものだが、それよりもいくぶん、おっとりしている気がする。

私は男で、考え方も男で、ビジネスや専門職の世界で男らしく(?)生きているので、
女性の思考様式というのが、わかっているようでよくわからない。
そういう自分からすると、川上弘美女史のエッセイとか小説などは、自分のありようとだいぶ違う。
自分が知覚している世界というのは浅層にすぎず、世界にはもっと深層があるのかもしれん、と思わせられる。

「目から鼻に抜ける」さかしらな賢さがなくて、寡黙でおっとりした一見「鈍」な人が仮にいたとして「この人にはひょっとしたら何かあるのかも」と第一印象で切り捨てないようになったのが、女性作家を読むことで得られた実生活の効用であろうか。

* * *

ところで、お二人ともお美しい方だが読む分にはそこはあまり関係ない。*1
むしろ、そういう人の世界の感じ方や頭の中から紡ぎ出された文の美しさ(整ったさりげなさ)に惹かれる。

*1:著者の容姿で本を買う性分はない。しかし小津夜景さんの本は何きっかけで読んだんだっけ。本紹介雑誌かな。