半熟三昧(本とか音楽とか)

半熟ドクター(とはいえ気がつくと医師20年選手だけど)の読んだ本とか音楽とか

「議論」に対する本二冊

クラウゼヴィッツ戦争論では、「戦争」の定義とはこうある。

戦争とは「ほかの手段をもってする政治の継続」である

ようするに、まず政治目的があって、非軍事手段を尽くしても事態の解決がなされない場合、戦争を考える。

議論も同じだ。
議論の背景にある達成したい*1目的を念頭に置く必要がある。

議論も、戦争も、容易に戦争/論争状態の継続そのものが自己目的化されるということも、「戦争論」では述べられている。

ひろゆき「論破力」

論破力 (朝日新書)

論破力 (朝日新書)

Kindle版はコチラ。
論破力 (朝日新書)

論破力 (朝日新書)

2chの管理人で有名だったひろゆきこと西村博之氏が、人を論破するには、ということで書いている本。
意外に、本のタイトルの「論破」ということよりも、うまく自分の望んでいる方向に議論を誘導するには?
というアプローチで書かれており、割と腹落ちできる部分の多い本でした。
「議論のうまさなんて、ある程度の頭のよさになってきたら、そう大きくは違いはない」なんて本人も言っちゃっていて、僕もそうだと思う。

勝てないとわかったら、平謝りにあやまっちゃいましょう、とか、
観客を味方につけるような話し方をしよう、とか、
無駄な議論で時間を費やしている、その費用(人件費)を考えて、議論する意味なかったら、そもそも会議やめません?
とか。


一方、Kindle日替わりセールで買ったんだろうか。
「議論」「論破」という意味では似ているこの本…

『場を支配する悪の論理作法』とつげき東北

場を支配する「悪の論理」技法

場を支配する「悪の論理」技法

これは、議論のための議論、という雰囲気がぬぐえなかったな。
「何のために議論をしているの?」というのが見えてこない論争。まあ、そういう混沌とした中でも論争に勝つテクニック論といえるのかもしれない。
ただ、これは僕には響かなかった。

多分、僕は中学高校と親元離れて下宿していて、エリート進学校に通っていたのだが、
そこでの下宿の先輩とこうした書生じみた議論をえんえんやっていた経験がある。
だから無意味な小才子の論争などについて抵抗もないし、そういう面倒くさいところに自分の出自がある。

でも、ネットでの言い争いって、ほとんど喧騒の中でわんわん言っているようなもので、
議論でさえない。Twitterなんか、心に欠落をかかえた残念な人達同士の感情とクソのぶつけ合い。
マウンティング合戦に過ぎない。『朝まで生テレビ』の方が、人数が限られている分まだましだよな。

* * * *
少なくとも、ひろゆきは、クラウゼヴィッツ戦争論と同じ考え。
パブリック・イメージはともかく、無意味な議論はしないのだろう。

一方の「悪の論理作法」は、インストールされているOSが私のそれとは違うかな、と思った。*2
これは、自己目的化された議論のための本だ。私には不要な能力だな。

ただ、巻末の「悪の名言辞典」は良かった。これを言われたらこれを出せ。みたいなやつ。
「あきらめたらそこで終わり」には、「引き際が肝心」
「バランスが大切」には「中途半端が一番悪い」
 他の語録も、結構よかった。

*1:合意、ということだろうが

*2:よくある「なぜ人を殺したらいけないか」という命題を僕ならこう答えるという論理展開が、僕には到底承服しかねるものであった。詳細は省くが、私の思う答えは「原理原則は平等に適応されるものなので、人を殺していい社会では、自分が殺される可能性が高まるから」というのが答えである。