- 作者: アーサーCクラーク,山高昭
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2013/02/28
- メディア: Kindle版
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もちろん『2001年宇宙の旅』や『地球幼年期の終わり』のような作家の偉大さをまざまざとみせつけられるような大作も好きだけれども『火星の砂』『海底牧場』のような近未来の日常や普通の人物の息づかいが感じられるような作品が楽しい。
この本もそういう系譜で、運よく低位宇宙ステーションに行けることになった学生体験実習記、みたいな話だ。
偉大な作家の偉大でない小品。肩の力を抜いたこのような作品にこそ作家の地力があらわれるものだし、僕はこういうクラークものの方が好きだ*1。
* * *
なぜ学生の時、クラークに惹かれたのかを考えてみたが、一つにはクラークは高度成長時代の科学技術の発展を体現する存在だからだと思う*2。ナイーブ過ぎると言っていいほどの科学の発展に対する肯定感と、未来に対する楽観的な視点。
桜玉吉の『渡る世間にメガトンパンチ』*3という作品で、いわゆる鉄腕アトム的な昭和40年代までの『未来家族(街にはエアカーが飛んでいたりつるつるの服を着ていたり、ヘルメットみたいなのかぶっていたり*4)』の横にサイバーパンク家族が引っ越してくる、というものがあったが、クラークは間違いなく前者の未来観に属している作家である。それが、未来のある若者である当時の自分には心地よかった。
学生の時に惹かれた理由はもう一つあって、それは、クラーク描くところの人物類型。この作品の主人公も、低位宇宙ステーションでの生活が終わり、最後地上に帰る時に、火星から地球におりてきた家族と触れ合う。火星在住の人たちは、地球と低位宇宙ステーションの差異よりもはるかに異質であることに彼はショックを受け、もう低位ステーションはどうでもいいや、火星へ行きたい!みたいな感じになる。読んでいる方からしたら、おいおいそりゃないぜ、とちょっと鼻白んだりしたのだが、外に開かれた世界に対しそれまでの環境をかなぐりすてて躊躇なく前に進む感じは、『都市と星』の主人公、アルヴィンに重なるところが大きい。
今の僕は、大人の側にいて進む若者を送り出す閉じた世界の住人であり、振り返らない若者に、今では感情移入できなくなった。むしろ主人公である彼らの旧来世界への酷薄さと、主役に取り残される寂寥にむしろ共感するが、まだ何者でもなく空白の未来があった若い頃は、クラーク作品は確かに自分を鼓舞し激励する作用があったのだと思う。
と過ぎし昔を思った。
クラーク描く世界は子供の頃夢想したバラ色の未来で、ただただ懐かしい。
一方今我々が生きている2014年の現実世界は、随分違う。
でも今がディストピアというわけでもなくて、僕も今自分がいる世界でそれなりに満足している。
単純に自分が歳をとっただけなんだろうなと思う。
クラークの作品は今見ても十分楽しいが、『都市と星』は、「セカイ系」と言われる物語構造の原型の一つではないかと思う。
ただところどころ古さを感じるところもあるし今のコンピューティングが発達した時代の若者に訴求力がどれだけあるかはわからない。