半熟三昧(本とか音楽とか)

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『ロシアについて―北方の原形』司馬遼太郎

ロシアについて―北方の原形 (文春文庫)

ロシアについて―北方の原形 (文春文庫)

よくわからないけれど、平積みになっていたので買った。
(きっと、『坂の上の雲』がTVドラマ化されているからじゃないかと思う)

司馬遼太郎は、長編小説を執筆する際に、周辺領域の研究というか、勉強を過剰に行うことで有名です。
で長編小説一つ仕上げるだけでは、割が合わないのか、その勉強したことを利用していくつかのエッセイがかかれる。今時だったら、スピンアウト作品とでもいうのだろうけど、時代が時代なので、司馬遼太郎の場合はあくまで表向きの料理を作る時にでた野菜くずで、ざっかけない賄い飯を作った、かのような雰囲気がある。はたまたそば食った時にでてくるそば湯の如くか。

例えば『この国のかたち』も、そうやって得た知識を再構築して書いたようなものだし、司馬遼太郎自身が、いくつもの時代背景を勉強することで、最終的にはものすごく博識の人になった。

 この『ロシアについて』という作品は、『菜の花の沖』『坂の上の雲』のあたりで仕入れた知識をもとにして書かれたエッセイである。しかし、実は司馬遼太郎の前半生は、このあたりのロシア・モンゴルとかなり密接なかかわりがある。たとえば、第二外国語としてモンゴル語を履修していたり、満州関東軍戦車部隊に所属していたり(当然、仮想敵国はソ連である)、そういう意味では小説家になる前から、ロシアに対する興味はひとなかならぬものがあったようではある。

 司馬の感覚としては、ロシアが日本(および極東)に向けている視線と、日本がロシアに向けている視線は、いちじるしく非対称であるという。

 我々はロシアについて「わけのわからない北方からの脅威」という解釈をしているにすぎず、ロシアがどのような視点で日本をみているのかは、今までも、そしてこれからも理解しようとする視点が決定的に欠如していることを嘆いている。

 最近もまた、北方領土についての議論がされているが、司馬にいわせると、ソ連だろうがロシアだろうが、国家の成り立ち方を考えると、返還は生半なことではないのは自明である。

 要するに、ロシアが北方領土を、不法に占拠しているなどとは絶対に認めないのは、アメリカがヒロシマナガサキへの原爆投下の人道的責任を絶対に認めないのと同様である。そこを認めるのであれば、今までの国家として一貫した姿勢をすべて否定することになってしまうのだ(岸田理論)。そういう、国の成り立ちのそもそもを考えると、北方領土返せと言い続けることの意味を再認識する必要はあるのかもしれない。