半熟三昧(本とか音楽とか)

半熟ドクター(とはいえ気がつくと医師20年選手だけど)の読んだ本とか音楽とか

『東京都北区赤羽』清野とおる

Kindle版はコチラ。二巻以降はお好みで。

前掲の「おこだわり」(http://d.hatena.ne.jp/hanjukudoctor/20160123)があまりにも異色だったので、作者の出世作東京都北区赤羽』をちょっと読んでみたら、これ、面白いのなんのって。
漫画自体の絵柄は出た時から認識はしていたのですが、あまり清潔感のない描線に、若干拒否反応を示していたのであった。食わずぎらいでした。
結局、増補版の1から4巻、それから漫画アクションに移籍してからの4巻、すべてKindleにて購入。

* *
赤羽という町は、僕は全然行ったことがない。

広島県在住の私で、東京へはよく出張でいくんですが、西日本から東京に行く場合、品川が玄関口になる。
多くの場合講演会場は山手線でいうと西〜南側に位置しており、東京駅よりも東側にはほとんど行かない。*1
そんな自分からすれば、赤羽というのはかなり馴染みのない街だ。

だが、そんなことは関係なく面白い。
学生時代神戸にいたんですが、神戸には阪急沿線より山の手に立ち並ぶ瀟洒な町並みとは別に、阪神沿線沿いにはダウンタウンともいうべき庶民の街が連なっているわけです。赤羽はそこと街のにおいが似ている気がしました。
昔ながらの商店街って、やっぱりいいよね。
大阪にもそういうところ沢山あって、やっぱりいい味を出していますね。

ダメな居酒屋、謎な店、開発から取り残されているために古い街の奇妙なものが残った街並み。
そしてそこに巣食うディープな人々。
女性ホームレスのペイティさん、ダメな居酒屋、「ちから」の愛されるダメっぷり。

* *
ただ、そういう「オモシロ自慢」「奇人変人図鑑」のようなものであれば、それほどは面白いという感想をいただかなかったと思う。『東京都北区赤羽』は、時系列に沿って描かれ、作者の街との関わりやアイデンティティのあり方もきちんと書かれていて、ノンフィクションでありながらきちんとストーリーもある。
漫画家として芽が出ず、もんもんとした生活の中、赤羽の奇妙な住人と出会い、交流があり、結果的には漫画家としてのヒットを出すに至るまでの、清野とおる氏のビルドゥングスロマン(成長譚)が縦軸にしっかりあるからこそ、続きが読みたくなったんだと思う。

学生時代所属していたジャズ研では(正式には軽音楽部ジャズなのだが)、そのころ、フリーインプロヴィゼーションみたいなジャンルが猖獗をきわめていて、エッジの効いたキッチュなものをことさらにありがたがる風潮があった。ペイティさんのような人をありがたがる素地は、その頃を思い出して懐かしい気がしたのも、引き込まれた理由だと思う。


学生時代を思い出したのは、昔青春期をすごした街に似ていたことと、学生時代に、僕もそういう物の見方をしていたからに違いありません。*2


* *
そういえば「その『おこだわり』俺にもくれよ!」であった、奇矯なリアクションは、今作では全くみられなかった。奇怪な住人たちとのやりとりのなかで作者とおぼしき「のび太」然とした風貌の主人公は狂言回しなのか、ことさらに「ノーマル」な感じで描かれている。おそらく本物の清野氏は、両方の要素をもっているんでしょうね。

*1:趣味のジャズのジャムセッションのライブハウスが錦糸町あり、そこへ行くのが僕の東限。上野、浅草も訪れたことがない

*2:どちらかというと飲み友達赤澤氏のシニカルな視点に近いと思う

『その「おこだわり」俺にもくれよ!』清野とおる

なんとなくkindleで購入。

いろんな「おこだわり人」にインタビューして、その人ならではのこだわったライフスタイルを聞き込んでいくわけです。
「ツナ缶」「ポテトサラダ」「アイスミルク」「コンソメパンチ」…
「ベランダ」「寝る」「休日の過ごし方」、に及んではモノですらない。

こだわりのある人は、その事柄への全般的な偏愛があり、特定の銘柄に対して排他的なこだわりは必ずしもないようで、その辺りはリアルだなと思った。

僕もジャズにおこだわりがあるけど、八割くらいのものは好きで、二割くらいは個人的にすごく好きなもの、二割くらいは個人的に好きじゃないものがあったりする。その程度で、ジャズなら大抵はいけるわけですよ。
神は細部に宿る、という言葉に真正面から切り込んだ好著。


しかし、清野とおるのリアクションが変。

なんですかね、相槌というよりは盲従といいますか、まあ、トークのテクニックでいうところの「リピート(おうむ返し)」なんですけど、きっちりかかれると、こんなにうざいとは。

相当面白かったんですけど、なんか違法薬物でもキメてるような異様なテンションは、二巻が出ても買うかどうかやや迷う…
多分買うけど。

『生きて帰ってきた男―ある日本兵の戦争と戦後』

ええと、id:FujiponさんのBlogで紹介されていたのがきっかけだったかと思います。
Kindleでぽちっとしました。
すごいいい本でした。

北海道サロマ地区で出身の一人の男性が、東京に出て、出征し、シベリアに抑留体験を経て、日本に戻り、いろいろ苦労をした生活の歴史。

戦争文学というのはいろいろなものがあるが、基本的には「文学青年」の素地をもっている旧制中学出身などの教養のある階層から語られる。パターンとしては士官学校へ入学していたり、学徒出陣だったり。
この方のように農村出身の労働階級の一般入隊の兵卒の経験というのは語られることが少ない。(近いものがあるとすれば、おそらく水木しげる先生)。
この方の場合も、おそらく自伝を著する文学的素養というのは難しいはずだ。虫瞰的な戦後史という類のものになるはずだが、語りは非常に正確で冷静かつ客観的であり、語り手の知性が随所にうかがえる。

そして激動の時代でありながら、話は淡々と進む。
戦争中の話も面白かったが、戦後の有為転変、結核病棟のありよう、都市生活、戦後の戦争に対する意味あいに対する疑問、現場に立ちあったものにしか言えない感想が随所に記されており、非常に勉強になった。

シベリア抑留は、ソ連としては戦争捕虜を安価な労働力として使役するのが目的であったはずだが、実は赤字であったらしい。

ソ連内務省の予算収支によると、捕虜労働による収益が収容所の維持管理費にみあわず、1946年度には3300万ルーブルの赤字を連邦予算から補てんしたという(カルポフ前掲『スターリンの捕虜たち』)。

しかしそれは、日本の捕虜たちの境遇が奴隷的であったことを否定する根拠にはならない。
しかし同時に、こうしたことは日本側にもいえる。大日本帝国の朝鮮統治は赤字だったともいわれるが、それが善行を施した根拠になるわけではない。また日本軍がアジア各地で現地住民から物資を略奪したのも、補給を軽視したマネージメントの拙劣さゆえであり、その最終的な責任は国力不相応に戦線を拡大した日本政府にある。

そうだよね。
ネトウヨ嫌韓の人はこういうことを言いたがるけど、なんか違うよなと思っていたんです。
腑に落ちました。

昨年の9月にアントニー・ビーヴァー著『第二次世界大戦』を読み、重かったものの、意義のある読書になったのですが、その時に感じた時代の酷薄さと、当然ながら重なります。(http://d.hatena.ne.jp/hanjukudoctor/20150903
今の時代に生まれててよかった。
60人が世界の富の半分を占める不平等な社会だったとしても、今の方がまだいいよ。

読み終えて、ため息がでます。

Pizzicato One 「わたくしの二十世紀」

まあ、団塊ジュニアなもんですから、思春期には渋谷系っすよ。おまけにサブカルクソ野郎でもあったもんですから、Flippers' Guitar、Pizzicato Fiveなどは、まあ素養としておさえますわな。

そんな小西康陽のソロユニット、ピチカートワン、First Albumの『11のとても悲しい歌』については、以前にとりあげました(http://d.hatena.ne.jp/hanjukudoctor/20110725
これはこれでなかなか印象的なアルバムだったんですけれども、気が付くと二作目が発売されていたので買ってみたわけです。

うー。『11のとても悲しい歌』よりもさらにものがなしいぞ。
ミニマルなサウンドと、もの悲しい歌詞と。
今ってこういう感じなのねー、前作の雰囲気と似ているよねーとか思いながら聴いていたら、
ん?まてよ?と。歌詞に聴き覚えがある。

これって、あのPizzicato Fiveの時の楽曲なんだ…
あんな、きらびやかなサウンドが、こんな風になるんだ…。

埃まみれの朽ち果てた廃墟を歩いていたら、実は子供の頃のきらきらした思い出のボールルームであることに気付いたように、慄然とする。

Pizzicato Fiveでは、明るくリュクスなサウンドと、その中に刹那的な歌詞、というギャップがよかったのかもしれないが、Pizzicato Oneでは、ただただ歌詞もサウンドも枯れている。

没落英国貴族、という言葉があるが、21世紀の没落日本貴族が、経済が強く、未来が明るかった20世紀を懐古しているアルバムだ。

Pizzicato Fiveの楽曲、味付けの少ない骨組みだけの状態でも、やっぱり結構いい曲が多いよな、と思った。

下流老人

若いうちなら、裸一貫で放り出されても、まあなんとかなる。
けど歳をとったら変化に対してフレキシブルじゃなくなる。

両親の世代をみてもそう思うし、自分もそうだ。
20代と今の自分をくらべると、物事の習得や順応に、時間はかかるし、うまくいかないでいらつく自分を発見する。
この延長線上に老人になった自分がいるわけだから、老人の自分には過大な期待をしない方がよさそうだ。
想定外の事態が生じて、老後の計画は頓挫して途方にくれる可能性はけっこうありそう。

定年前にたてる老後の計画は、そもそもかなり甘めだとでこの本でも指摘されている。そりゃそうで、定年退職する直前の収入は、年功序列制度の恩恵もあり、実際の貢献度よりも額が多い。だから定年前は自己を過大評価しがちであろうと容易に想像がつく。

収入がなくてお金を取り崩していくのは、思ったより早い。
あっという間に資金が底を尽いてしまうのだろう。

自分も外来で高齢の方を少なからず診ているが高齢の方で、金銭的な理由で受診を打ち切る方は時々いる。

私は幸いこういう仕事(医師)をしているので、死ぬ直前まで仕事をさせてもらえると思う。
だから日銭に困ることは、多分ないんじゃないかな。
ただ、それは逆に考えると、死ぬまで馬車馬のように働くってことで、それは憂鬱だね。

古代の謎は海路で解ける

古代史の謎は「海路」で解ける (PHP新書)

古代史の謎は「海路」で解ける (PHP新書)

わたしは瀬戸内海沿岸に住んでます。
一般的に、瀬戸内海は内海で穏やかであるというイメージがあったのですが、*1
海洋船舶の専門家が著するこの本では、一言でいうと、

いやいや瀬戸内海っつーのはわりと潮流が複雑で、昔のテクノロジーでは結構航海するのに難度の高かった海なんだよね。
だから、最初は日本海側から越前に到達するルートが発達したはずだ。

という趣旨であります。
そのつもりで古代の歴史を再検討すると、いろんなことがすっきりと説明できますよ、という。
おそらく瀬戸内海の航路としての整備は5-6世紀に徐々に形作られたのではないかと筆者は推定している。この頃の操船技術では、沿岸部に避難港がないと瀬戸内海の航行はできない。
5-6世紀の雄略帝が開発を行った可能性が強いが、史実として過去の偉業を盛るために記紀では神武天皇の治績にされている。

だが、神武天皇の時代には瀬戸内沿岸には大和政権に連続性のある史跡もない。この頃は、丸木舟に毛の生えたような船で波の穏やかな日本海沿岸を東進するのが関の山で、瀬戸内海を東征するなんてありえないそうだ。
神武天皇は安芸で七年 、吉備で八年いたとされているが、これはおそらく雄略帝のことだろうと筆者は推定している。舎人親王はその滞留の意味をわかっていないが、数十ヶ所の港に入植し 、港湾を造るにはその程度の年月は必要である 、と作者は港湾専門家として喝破する。
少し論理構成に飛躍があるが、大変面白い。

今の基準で、瀬戸内海は航行しやすいと思ってるが、明石海峡鳴門海峡も、確かに波も速いよなあ。
「なにわ」は難波であり浪速であるが、古代の地形のままでは波が速く、難しい港であったそうだ。ちょっと今からは想像もできない。



「逆さ地図」で読み解く世界情勢の本質 (SB新書)

日本海側からみた時に、歴史地図というのはまた全く違った装いをみせる。
この本は、地図を逆さにして眺めることによって、また新たな見方ができる。という本。
初期の大和政権では日本海側の航海がむしろ主力で、環日本海圏とも言える経済域が存在したそうだ。

地形からみた歴史

地形からみた歴史 古代景観を復原する (講談社学術文庫)

地形からみた歴史 古代景観を復原する (講談社学術文庫)

古代の地形地図。
これはかなりお堅い本で、地質学、考古学の知識がないとなかなか読み進むこともかなわない。
難波は、着岸の難しいところ、ということで命名された、という先の本にあったので購入してみた。ちょっと、難しすぎたね。

*1:このイメージはどこから来ているのかわからないが、多分「中国の川はとても広く大きくて、瀬戸内海を中国人に見せたら『これは川だ』とか言ったとか言わなかったとか、そういう逸話がある。