芭蕉 おくのほそ道―付・曾良旅日記、奥細道菅菰抄 (岩波文庫)
- 作者: 松尾芭蕉,萩原恭男
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1979/01/01
- メディア: 文庫
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旅行をしていたわけですが、旅のお供に、同じく紀行文の古典であるこれを持っていきました。
大抵、旅行中の移動時間というのは暇なわけですが、大きな本は邪魔だし、かといって薄い本ではすぐ読み終わり、意味がない。だからこういう古文とか、読むのに時間のかかるようなものは最適というわけ。勿論スノッブな虚栄心も少しはある。
しかしこのおくのほそ道、古典だからといって、堅苦しいものではなく、書いている内容は実にたわいないようなものではある。
まぁ、歳月の流れゆくさまってのは、旅みたいなもんでさ、古人にもさ、西行とかさ、風流な人ってみんな旅してたわけじゃない。僕もしてみようかなーなんて思って、この前は海辺の方に行って、去年の秋に帰ってきたわけだけど、元のぼろ屋に帰ってきてちょっと落ち着いてたわけ。今度は白川の関の方に行ってみたいな、なんて思いたったもんだから、旅の準備を整えたりしましたよ。医者に行ってみたり、旅の服を繕ったりね。住んでいたぼろ家ももういらねーから人手に譲り渡したりしたんだけどさ、そうやって住む人が変わったせいか、僕は飾らないひな人形なんか飾ったりしてるのよ。これって無常じゃね?風情じゃね?あはれじゃね?
てな感じだ。
しかし昔の文章は、こうした平易な文にも昔の有名な古歌のフレーズが埋め込まれていたり、掛詞や対句を駆使してリズムのよい文を作っていたりする(特に蕉風はそういう傾向が強いようだが)ために、文章の中に内在するイメージが現代文の何十倍も強い。松岡正剛が知の編集工学などで触れていたが、確かにhyperlink textに近い感じがある。
しかし、おくのほそ道の芭蕉はちょっと心許ない。それももっともで、その年の10月に芭蕉は客死するのである。人の名前とか地名もばんばん間違えていたりとか(中田君→田中君的な間違いを)、やたらあはれがって落涙したりするのは情動失禁なのかしらとさえ思われた。