半熟三昧(本とか音楽とか)

半熟ドクター(とはいえ気がつくと医師20年選手だけど)の読んだ本とか音楽とか

社会人として楽器を続けるということ―その2


 楽器に習熟するということは、楽器を持った時の感覚を、いかに「馴染ませていくか」ということです。
 それには継続した反復練習を行うしかない。 

 学生時代は、こうした継続した反復練習に最も適した時期です。楽器に淫する時間、楽器との蜜月期は、ある程度のレベルに到達するには必須であるといえましょう。

 継続して楽器を吹いている場合この感覚は長く保持されますが、しばらく楽器を中断するとこの固有の感覚はあたかもリセットされたような感じに陥ります。継続して練習を行うのは、ひとえにこの感覚をリセットさせないためです。

 例えば山野ビッグバンドコンテストの常連校のレギュラーメンバーなどは、この感覚がリセットされるほどの長い時期(例えば二週間以上とか)、楽器に触らないということはあまりないのではないでしょうか。

 もちろん、学生時代にも「しばらく楽器吹かない期」は定期的に訪れます。
 試験前とか、就職活動とか、卒論とか。
 やむなく演奏をせずに、久しぶりに楽器を手にしたときにはリセットされたように感じますが、そのあとしばらく触っていると以前の感覚は大抵の場合難なく戻ってきます。

 * * *

 就職というのは、多くの場合、この「楽器を継続して得られる、楽器に触りなれた感じ」からの訣別を意味します。

 選んだ仕事にもよりますが、普通は就職の最初期には生活リズムが変わり、数ヶ月、場合によっては数年、楽器には触れなくなり、触らなくなります。

 このリセット状態からの再開は、例えばOBバンドとか、同級生の結婚式とか、そういう強制的に与えられた演奏機会などがきっかけになったりします。
 ブランクが長いと、誰しも以前のようには吹けないのではないかと恐れるものです。しかし、意外にも、そうでもない。長いリセット期を経て楽器を触った場合、「思っていたより吹けた」という感想をいだくことが多い。

 リセットされた状態から、最初の一歩を踏み出す場合、あまり不全感は感じません。一度、自転車の乗り方を覚えたら、容易なことでは忘れないのと同様、反復練習によって作り上げた楽器の固有覚は、案外消えないからです。
 久しぶりにそして長いブランクのあとは、自分の中にある自己批評能力も劣化していますから、とりあえず、そんなに不満を感じることはないというわけです。

 ただし、リセットされた状態から最初の演奏は「まあまあ吹けるやないか」と、いい気分で終えられるかもしれません。が、あまり間を置かずに次の演奏をすると、楽器のコントロール能力がところどころ綻びを見せていることに気付き、愕然とするものです。でも、これまた不思議なことに、例えば録音をしてみて客観的に聴き比べると、二回目のほうがむしろましだったりもするものです。

 おそらくこれは、Sensor→Motorの系でいって知覚系の方が戻りが早いからでしょう。

 話を戻しましょう。
 社会人になったら僕達はどうやって練習したらいいか?という話です。

 ある程度、継続して楽器が吹ける状況になればいいですが、社会人の場合、そこまで時間がとれるわけもありません。
 多くの場合、リセットされた時期がほとんどで、本番の前に数回練習をして、本番の時にベストコンディションに持っていくような手段をとらざるをえません。
 つまり、学生の時のように常に楽器のコントロール能力を十全に保っておくという風には行かず、ある程度、リセットされた状態から何回くらい、もしくは何時間くらい楽器を触ればそれなりの状態にチューンナップすることができるか、ということを考えざるを得ません。

 いわばゲームのルールが変わったともいえます。
 時間はいくらでもかかってもいいから100%に近い完成度まで自分を引き上げるというゲームから、限られた時間の中で70%もしくは80%くらいのところまでいかに効率よく完成度を上げられるか。

 学生の時と同じルールでは全く不満足かもしれませんが、そういうルールだと割り切ってゲームを楽しむと、8割の完成度でも、そうそう凹むことはないのではないかと思います。