半熟三昧(本とか音楽とか)

半熟ドクター(とはいえ気がつくと医師20年選手だけど)の読んだ本とか音楽とか

社会人として楽器を続けるということ―その1

 僕はトロンボニストです。ちょっと前は自分のことをトロンボニストと自称することもためらわれたものですが、最近は一応、自分をそういう風に言えるようになりました。
 というか、それしかないし。俺*1

 おそらく学生さんで、トロンボーンを毎日吹いている人も沢山いると思うんですが、今日はそういう昔の私に向けて、学生時代のその先、社会人で楽器を吹き続けた自分の経験による雑感を書いてみます。


 君たち、現在学生の君たちは、マトモに音楽に狂っているのなら*2、継続して練習を続けていることでしょう。音楽そのものの上達には必ずしも練習を必要としませんが、楽器に関する限り、上達はほとんどの場合練習量に依存します。そんなことは、楽器をやっている人間はみな知っていることですが。

 楽器を習得しはじめは、その楽器特有の身体を消耗する部分(多くは楽器と肉体とが接触している部位)が気になるものです。たとえば、トロンボーンやトランペットでは、唇。唇の疲れとか、場合によっては荒れだとか。弦楽器の人なら指の皮。
 まず、こういうのは絶え間ない反復練習をして体を慣らすしかない。マラソン選手がジョギングを行うかのごとく、ピッチャーが「肩を作る」ごとく、日々の練習で、体をある程度楽器に慣れさせなければいけません。
 どうでもいい話ですが、例えば社会人になって、新しい楽器を始めようという場合、この、最初の障壁でさえつまづいてしまいます。まとまった時間をとるということは、本当に難しい。僕はギターを練習したいなーと思うんですが、練習時間が取れないから指の皮を厚くすることがまずできず、そこで屯坐しています。

 ただ、この最初のハードルを乗り越えても、それで終わりではない。唇をマウスピースに接してふるわせることに慣れさえすれば、指の皮が硬くなりさえすれば、流暢に楽器を演奏できるわけでもありませんね。
 次の段階は、演奏の時の自分の固有覚を鋭敏にしていく作業です。
 固有覚というのは一応医学用語なんで、ここで用いるのが適当かどうかわかりませんけれども、自分の体がどういう状態であるか、今、関節や筋肉がどのような状態にあるかということを察知する知覚です。
 体のこうした感覚は人によっても随分質的にも違うのでしょうし、精度も人によってさまざまです。
 例をあげてみましょうか。
 挙手をする状態を0度、手を前に突き出した状態を90度としてみましょう。すると、45度は手を斜め前に突き出した状態ということになる。
 目をつぶってぴたりとこの位置にもっていけますか?
 では30度、60度はどうでしょうか?もっと細かく、角度を割ることができますか?
 ちょっと訓練すればこれらの身体の位置感覚の精度を鍛えることができるだろうと思いますが、これが固有覚であり、この精度が固有覚の精度ということになる。

 今例に挙げた、こうした身体の動きに関して、常人に比べて明らかに優れているのは、ダンサーとか、パントマイマーです。これは、彼らが、自分の「姿勢」というものに対しきわめて自覚的であり、そういった訓練を行うにほかなりません。鑑賞にたえうる体の動きは、例えば鏡の前で入念に姿勢や動きをチェックすることで得られます。

 また、ピッチャーやバッターも、鏡やビデオを使ってフォームをチェックしたりしますね。これも、その運動に伴う身体感覚をチューンナップしています。ピッチングのフォームなどは、おそらくダンサーの身体感覚のように可視可能な要素以外のものを多分に含んでいると思います。おそらくピッチングを囓った人間にしか見えない動きの力動線とか、チェックすべき部位があるのでしょうが、ピッチングにはピッチングの、独自の身体感覚の地図が作られるのではないかと思います。
 楽器演奏も同じで、楽器を演奏している時、我々の脳内では、ピッチャーの投球と同じく、固有の体内地図に沿って体を動かしているわけです。言い換えると、楽器のコントロール能力というのは、こういった固有覚の精度にほかならない。
 こうした器楽演奏上の固有覚の先鋭化こそが、次の段階で獲得すべきことなわけですが、これは継続した反復練習でしか得られません。それも連日の。前の日の感覚が残っているような状態で、継続してさらに練習をすることで、脳内の固有覚空間は成長できる。

 このあたりのことは、中級者以上の器楽奏者なら言語化するまでもなく自明ではないかと思います。

 ちょっと長くなったので、続きはまた今度。

*1:あと、僕にあるのは、職場での波風立てない穏やかさと、外見はともかくとしたフレンドリーさくらい。知性?ああ、あれはいいよお←伝染るんですのカエル風に

*2:矛盾したものいいですが