半熟三昧(本とか音楽とか)

半熟ドクター(とはいえ気がつくと医師20年選手だけど)の読んだ本とか音楽とか

『わたしたちが孤児だったころ』カズオ・イシグロ

わたしたちが孤児だったころ (ハヤカワepi文庫)

わたしたちが孤児だったころ (ハヤカワepi文庫)

(単行本:asin:4152083425)

 どうでもいい話ですが、カズオ・イシグロの著者近影は、母方の従兄弟にちょっと似ているのです。
日の名残り』(以前の感想>http://d.hatena.ne.jp/hanjukudoctor/20070210)よりも早くに読んでいた。

上海の租界で暮らしていたクリストファー・バンクスは、10歳のときに相次いで両親が失踪したことで孤児となり、イギリスの寄宿学校で生活するようになる。成人後、探偵として名を成したクリストファーは、両親の行方を突き止めるため、上海に戻ってくる。

以上棒読み。

 どことなく、村上春樹の描く世界とにているような気がする。「不思議」な世界。ただ、同じ不思議な状況を書いていても、村上は、「あちらの世界」という書き方で、その正体というか種あかしはしないし、作者の中でも、判然としないもやもやとしたままずるずると引っ張り出して書き付けているのに対し、イシグロは作中の小さな不思議の集積の裏にはちゃんと作者なりの理路整然としたプロッティングがあるようにみうけられる(そういう技巧を感じる)。
 つまりは、イシグロには、村上春樹にはある上田秋成感がない。もし、国語の問題のような、「なぜ主人公はそう思ったのか答えなさい」という問題があったら、村上春樹は「僕にもわかりません」と答えるだろうけど、イシグロはちゃんと自分の中に答えを用意しているように思う(ま、ニコニコ笑って、明かしてくれないとは思うけど)。村上春樹のような「理屈で説明できなさ」も、それは確かに一つのリアリティのためのアプローチだ(逆説的だが)。だが、イシグロのアプローチにもまた別のリアリティがあると思う(イギリス的、だと思うが)。
 にもかかわらず、この作品にはやはりファンタジー作品のようなふわりとした感じがある。探偵小説だからって、ハードボイルドのような透徹さは全然ないのだ。



 結構ずがんと来ました。心に深く何かが刻まれたんですが、それが何なのか、どういっていいやら、もやもやして言えません。こういうまるで本に尻子玉を抜かれるような経験は、ごくまれにあります。
 うまく説明できないこのアレをナニするため、四、五年して、もう一度読み返してみようと思う。