半熟三昧(本とか音楽とか)

半熟ドクター(とはいえ気がつくと医師20年選手だけど)の読んだ本とか音楽とか

アントニオ・カルロス・ジョビン

Stone Flower
ええと、今日はジョビンの命日でもあるのでジョビンのことを書きましょう。BGMは"Stone Flower"で。


 なんであんなにシンプルで美しいメロディーを作れるんだろうと思う。

 文明やテクノロジーの進歩などは後代になればなるほどレベルが上昇する。音楽もそれと同様であると僕らは錯覚しがちである。確かに楽器の精度、ピッチコントロールなど物理的な要素、それも平均値は時代と共に明らかに向上している。楽曲の緻密度などにもそういう傾向はある。

 しかし別の分野、たとえば絵画の世界などに置き換えて考えてみれば、印象派レオナルド・ダ・ヴィンチなどのルネッサンスという質的なブレークスルーを経る前の、例えばフレスコ画とか、いわゆる宗教絵画などをみると、それなりに緻密であるし、かなり用意周到な作者の含意も見て取れる。アルタミラの壁画だって、稚拙さは感じない。つまり後代になればなるほど緻密さを増すというわけでもない。

 そうはいっても、明らかに時代性という制約は受けるのであって、我々は理論の確立した時代に生きている。遠近法、色の分解法の確立した現代、そうした知識は自明のものである。
 音楽だって然りで、平均律、コード、ドミナント・モーションなど現在の音楽のほとんどはこうした確立された共通認識の上に組み立てられている。

 そうした制約の多い理論を踏まえた上で、芸術家はオリジナリティを出さなければならない。モダニズムの世の中である20世紀には、あえて理論から逸脱する非ユークリッド的アプローチが好んで使われたが、そうした「我を張った」芸術というのは、どうにも折角先人達が築き上げたエレガントさに欠け、グロテスクさが鼻につく。例えばジャクソン・ポロックセシル・テイラー。マイルス……はそうでもないけど、例えばマイルスが着てたへんてこな服はそういう感じがする。

 それに比べて、ジョビンはどうだ。
 譜面だけみても、何時代の人かさっぱりわからない、竹を割ったような、しかし玄妙なメロディー。今まで培われた理論に敢えて挑むわけではないのに、絶妙に遠近法を無視したフリーハンドといった感じの「うまい」メロディー。最小限の描線で過不足無し。
コルトレーンが死ぬちょっと前にジョビンの音楽を聴いて、こういうのしたかったんだよねーとか呟いたとか呟かなかったとかいう話がありますが、アバンギャルドな細密画のような音楽を目指そうとしていた彼らしい感想だと思う。

 ジョビンはボサノバの人っていうイメージが強いけど、この人にとってはボサがどうのこうのって別になかったんじゃないのかなぁ。そういうのを越えた普遍的なところに楽曲は位置している様な気がする。