20世紀の鬼才、橋本治が20世紀の各一年毎を、橋本治らしい口語体でコメントしている。
それが100年分。
もうすでに21世紀の4分の1が過ぎている現状で、20世紀の振り返りを現代的な口調で行うというのも、いささか時宜にはずれたことなんじゃないかと思うけれども、これがなかなかどうして、橋本治史の語りというのは、話芸といいますか、いつまでも読んでいても飽きない何かがある。
知識も幅広いし、諧謔心も十分にあったり、言語化能力としても非常にクリスプであったりする。
実際この人は、最初は「桃尻娘」みたいな80年代ニューアカ的な当世風の軽さでデビューしたわけだけど、
東大文学部卒だったりするし、『窯変源氏物語』『正調平家物語』シリーズなどめっちゃハードな独特な注釈付き歴史作品の現代語訳もあったりする。歴史や時代・ジェンダーのことにも明るく、まあ著作も多方面で手広い。
一体この人はなんだったんだろう、と思う。
そんな橋本治氏も2年前に亡くなり、彼の後を継ぐような作家もいないような気はする。
自分も久しぶりに橋本治を読み返してみたわけだが、この人はもう亡くなられているのでもう当代のイシューに言及することはできない。
が、往年のそういう論評を読み返すと、新鮮な気持ち半分、しかし今の話聞きたい半分な、微妙な気持ちだ。
以下覚書(ハイライトしたとこの半分くらいか)
現在の混迷の21世紀を、生きている橋本治にコメントしてほしい、と思った。
- 冷戦の時代は、戦争になりそうでならない時代
- 核兵器があろうとなかろうと、もう戦争はできない、という状況が、もしかしたら第二次世界大戦後の世界にはあったかもしれなくて、それが冷戦状態を持続させていたのかもしれない
- 戦争放棄の憲法第9条を持つ日本人はもう50年以上も戦争から遠ざかっているので「戦争にはルールがある」ということ自体が飲み込めなくなっているけれども、戦争にはルールがある
- 大国は小国を併合しても構わないーすべての戦争 侵略はこの歪んだ発想から生まれる
- 1980年代のアメリカ人は、日本に対して怒っていた。「リメンバー・パールハーバー」ではなくて、アメリカが世界で一番の金持ちではなくなってしまったことに対して、怒っていた
- 必要なものは作る、必要じゃない物は作らないーこういう原則を確立しないとこのイライラとした落ち着きのない世界は平静にならない
- 20世紀は普及の時代だった
- 受験戦争の脱落者になりたくなかったら、いい大学に入れ」というのは、実のところ「侵略されたくなかったら侵略者になれ」のバリエーション
- 古ければ古いほど、男たちは女を縛りたがる
- 商売をするのに暴力をちらつかせるという風習はさすがに二十世紀の半ばにはなくなって、しかしそれでも「作りすぎた商品を売りつける」という風習はまだあまねく残っている
- 軍隊同士が戦って相手国から領土を獲得するという形の戦争は古くなって、二十世紀の戦争は、「ウチの市場をお前なんかに渡すもんか、お前にうまい商売なんかさせるもんか」という陰湿でややこしいものになる
- 近代日本の対外的ゴタゴタの原因は日本が市場ではなく領土を求めたその古臭さに由来するものだろう
- 人間が二十世紀になって発見した最大のものは「無意識」なのではないかと私は思っているのだ
- 1923年は後の厄介の種がすべて出揃うようなとんでもない年
- 大衆は大衆でそこにある意味を拾い上げるだけの知性がなかったからこそ、日本はファシズムになだれこんだーそんな考え方だって、もうあってもいいのである。
- 日本には手に入れたものを意味あるものに変える力がなかった。勝って得たものは、ただ勝ったという栄光の記憶だけなのである
- 日本は何も知らずに手探りでやっている内は「いい」のだが、それがうまく行った後は「ダメ」なのである
- 民族の浄化」を叫ぶナチス・ドイツは以上に「清潔」と「ノーマル」が好きな国だった
- 日本は中国から軍隊を撤退させ、その代わり、国民政府は満州国を承認する。国民政府と日本が中国に作った傀儡政権は、合流して一つになる」――これが条件である。それまで日本のやり方に否定的だったアメリカとしては、〝大幅な譲歩〟に等しい。日米開戦前の日本には、「アメリカか、ドイツか」という選択肢があったのである。 どっちがトクかはバカでも分かる。しかし、日本はバカ以下だったらしい
- ドラマの中では、「明日をも知れない戦火の中で激しく結ばれる男女」ばかりがもてはやされるが、現実はどうも違う。人は、「明日も平和だ」という状況になってこそ子供を作る。
- 感謝の念でいっぱいの日本人達に見送られて、マッカーサーはアメリカに帰り、その後でとんでもないことを言った――「我々は四十五歳だが、日本人は十二歳の少年だ」と(中略)日本は敗戦の混乱の中で頑張って、一人前になろうとしているのに、なんてひどいことを言うのだろう」と、日本人は怒った――それがいかにも十二歳の小学六年生的な怒り方だとも思わず
- 「共産主義への恐怖」は、既に十九世紀からある。その恐怖は、「私有財産を否定する共産主義は、せっかく得た我々の財産を奪う」という恐怖である。しかし一方、共産主義は、「他人への痛み」を前提とする思想でもある。世の中には貧困に苦しむ人間がいる――それはなぜだろうと考えて、共産主義は多くの共感を得た。多くの金持ちの坊ちゃんが共産主義の影響を受けたのは、そのためである。一九四七年、非米活動委員会がハリウッドに手を伸ばしたのは、「ハリウッドは赤の巣だ」という声があったからだが、なぜそんな声は生まれたのか? ドラマというものが、「他人の痛みへの共感」を前提にしなければ成り立たないものだから
- 「核」という言葉と「平和」という言葉は、「どうしてそんな形で連動するの?」と思われるようなねじれ方をして、冷戦の時代をいたって難解なものに見せてしまうのだが、それはそもそも、第二次世界大戦後の核兵器が「防御のため」に生まれたものだからである。 第二次世界大戦後の世界では、論理が不思議なねじれ方をする。
- アメリカは日本の〝矛盾した親〟で、ファシズムを追うが、やがてはファシズムに加担した戦犯達をも救う。日本は独立したが、矛盾した親からの〝精神的自立〟を理解しなかった。自立がないから、すべての議論は依存の中で空回りする。真相はこれだろう。
- 東京オリンピックとその〝成功〟は、後の日本人に慢性的なスクラップ&ビルドの習慣を定着させてしまう。「作って壊す、壊して作る――そうすれば繁栄は訪れる」
- エイズ・ウィルスは、自己防衛をせざるをえない男や女に、それをする者の「孤独」を説いた。孤独を衝かれて、人はなす術を失う。無限定な他者への欲望は、それを抱く者の深い孤独を照らし出す――エイズが登場した一九八二年の人類史的意味はこれだろう。