半熟三昧(本とか音楽とか)

半熟ドクター(とはいえ気がつくと医師20年選手だけど)の読んだ本とか音楽とか

動物裁判

法廷に立つブタ、破門されるミミズ、モグラの安全通行権、ネズミに退去命令……13世紀から18世紀にかけてヨーロッパに広くみられた動物裁判とは何だったのか?自然への感受性の変化、法の正義の誕生などに言及しつつ革命的転換点となった中世に迫る「新しい歴史学」の旅。

中世ヨーロッパでは、問題行動をとる動物を、裁判にかけていたそうな。

誠にキテレツな風習ではあり、合理的でもない。
当代のエリート層や知識人も、別にこれが是であると思っていたわけでもなさそう。
しかし不思議なことに、しかしこの風習は古代にも近代にもなく、中世の、12世紀から18世紀の限定された期間、そして限定された地域にのみ見られたらしい。一体なぜ?というのがこの本。

動物裁判は、動物に人間の法を適用する。これを平気で実践しみまもることのできる感受性は、その時代固有の感受性以外のものではありえないであろう。
それ以前の、動物や自然の霊力を真剣に畏怖していた時代には、それはだれにもうけいれられない。
また、それ以後の、風景を人間社会の論理から解きはなち、風景をそれにむかいあう個人が風景のためにのみ愛好・描写する時代、そして科学的客観性で自然をみて解釈しつくそうという時代にも、それは存続しえないから。

中世の人が狂っていた、というわけではないらしい。その時代精神を振り返るとうなずけるところもあると。
自然の征服・馴致・搾取の歴史において、もっとも革命的な転換点は中世にあったわけで、
つまりこれは、自然をコントロールしよう、制御しようという意欲の現れから発生している。

後世では、理性的ではなく、ルールにも従えない動物を裁いたところで無意味なことがわかったこと、また科学的にコントロールという新たな選択肢が生まれたから。
だからアプローチは間違ってはいたが、とにかくコントロールをしようという意思の現れが、動物裁判だったというわけだ。

この本は、中世の特殊なありようを紹介したわけだけれども、この不合理さを省みて、現代には現代ならではの色々不合理な事象が存在する。

そういう不合理さは他の時代の不合理さから理解できる、のかもしれない。

と思いもしたが、そこまで納得の行くものでもなかった。動物裁判というキャッチーな言葉に引きずられ、文化学的な考察しきらん感じはある。

前半部の事例はめっちゃ面白くて、魔女裁判と並んで、中世の暗部の一つなのであろう。

しかし司法って学問体系としては自然科学とは別個の発展を遂げているわけで、今でも医療裁判とかは首をかしげる判決は多い。クソが。
でもこんなことや魔女裁判やってる奴らと地続きなんじゃしょうがねえよな、と諦観にも似た気持ちになった。