半熟三昧(本とか音楽とか)

半熟ドクター(とはいえ気がつくと医師20年選手だけど)の読んだ本とか音楽とか

『勉強の哲学 来たるべきバカのために』

ビジネス書とか、自己啓発の本は「どういう風に効率よく勉強するか」ということを書いてある。
つまり”How to Study”の本。これが大部分。

しかし、この本は「勉強とはどういうことか?」を考える本。


"Why?"(なぜ勉強しなきゃいけないの?)ではなく"What?"(勉強とは何か?)を論じている本。
少し変わった切り口だとは思う。

  • 現代は勉強しやすい時代
  • 勉強を「有限化する」こと。

「深く」勉強する、ということは、流れの中で立ち止まること。それは言ってみれば「ノリが悪くなる」こと。
深く勉強するということは、ノリが悪くなることである。
 勉強は「獲得」ではなく「喪失」。
勉強をすると、言語偏重になる。
勉強とは、かつてノッていた自分をわざと破壊する、自己破壊。
しかし環境からの制約されている「自由」を得る。

なるほど、勉強は、単にお金を増やすように、自分の知識を増やすわけではない。
自分の頭の中を作り変える(脱構築)ステップが必要だ。
そこは知識偏重によって実践力が削がれるリスクもはらんでいる、ということか。
それは、次の段階にステップアップするためには避けて通れない。

なるほど。
ジャズの勉強もそうだし、医学に関してもしかりだと思った。

半熟ドクター|note

最近、ジャズの勉強を伝えるページをNoteでやっているのですけれども、これで、初学者の人から中級者上級者までいろんな人のアドリブを見る機会がありました。
どういうアルゴリズムでアドリブが作り出されているのかというのが、アドリブ譜を見ると、透けて見えるわけです。理論的に「深い」方がいいアドリブができるわけでもない。そして、アドリブの向上というのは、一つのアルゴリズムが完成した後、もう一度「オーバーホール」して新たな語法を形成する、という繰り返しで作られるものだと思います。こういうプロセスを考えると、この勉強の「言語化、再構築」というものはわかりやすい。

第二章、勉強の本質論。
ここは、言語論、意味論、言語の環境依存性などを織り交ぜ語られており、正直、あまりピンとこなかった。
今の自分にとって、このトピックはあまり本質的に問題意識から遠いからなんでしょうか。
この章は、結構深いことを問うているので、もう一度読んでみたい気もする。

三章・四章は、具体的な勉強の方法の本質論。

・欲望年表を作る。メインの欲望年表にでてきたこととサブの欲望年表に出てきたことを接続する抽象的なキーワードを無理にでもわざと考え出す(ナラティブ)
・まともな本を読むことが勉強の基本
・入門書は複数比較するべき。頭の中にブックマップを作る。
・教師は有限化の装置であることに気づけ(その教師なりのフレーミング効果を形成している)
・難しい本を読むのが難しいのは、無理に納得しようと思って読むから(テクスト内在的に読む)
・どこからが自分の考えで、どこからが他人の考えかを区別して読む
・情報過多の現代においては、有限化が切実な課題。

 微に入り細に入り勉強方法を書いてあるわけではないが、自己学習の要諦について書かれてある。

いわゆる「勉強しなさいね」というわかりやすい自己啓発本ではなく、そして「なぜ我々は勉強するのか?」という、これはそれなりにすぐ答えを出る問いでもなく、「勉強とは何か?」という問い。

面白いね。考えたこともなかった。
ここに疑問を持つ人は少なく、それゆえにニーズも少ないかもしれない。
が、人にものを教えようという人は、読んでも損はないような気がする。


以下備忘録

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・「周りに合わせて生きている」というのは、環境のコードによって目的的に共同化されている、ということ。
・勉強によって自由になるとは、キモい人になること。
・哲学とは、根本的にツッコミの技術
アイロニーから、決断主義