半熟三昧(本とか音楽とか)

半熟ドクター(とはいえ気がつくと医師20年選手だけど)の読んだ本とか音楽とか

『人の砂漠』沢木耕太郎

僕が留年して学年をすべりおりた同回で実習が一緒だった綺麗な女子に借りたんだっけか。
沢木耕太郎の『深夜特急』はそんなのが経緯で読んだ。
僕自身は海外視点のない人間だったので(当時も今も)あまりピンと来ず読んだ。
それこそ「猿岩石」前夜というころ。
猿岩石がきっかけで、あの頃バックパッカーが再び流行するだなんて、思わなかったな。

単位に追われ、近視眼的な学生生活に追われていた自分達にとっては、別世界すぎた。
が、今思うと、その別世界感が憧憬につながったのかもしれない。
カゴの中の鳥が、抜けるような青空に対して憧れていたように。

深夜特急」は「学生の人生を狂わせ度」からいうと、なかなかのもんなんじゃないかと思う。
まあ狂わせたというか、新たな世界を開いてくれた、のかもしれないけど。

前置きが長くなった。
この本は沢木耕太郎の初期ルポルタージュ短編集。
変わった話を、克明に描写するノンフィクション。

う、うーん。
深夜特急」で、異国の街角向けられた視点を向けられると、こんな感じなのか。
ちょっとしんどいかもしれない。

冒頭の作品。老女が自宅で餓死。孤独死である。
その死の前後の「すさまじい」有様が描かれるのだが、いわゆる地域密着型の医療をしていると、類型は比較的頻繁にでくわすタイプ。
現実の方がすさまじくて、いささか鼻じらむ。

むかし「ゴミ屋敷のやばい住人」がワイドショーに「街の椿事」としてある種のネタとして取り上げられていた。
けど、実はゴミ屋敷は、独居の認知症の進行過程において、まずまずの頻度で出現する。
規模の大小はあれど、どの街にもゴミ屋敷・ゴミ部屋というのはあるわけで、
めったなことで報道されなくなってしまった。
私の担当患者だけでもゴミ屋敷の人、10人くらいは診ている(認知症外来でもないのに)。
高齢社会は、ありふれた現実が、一世代前の珍しい事件を完全に凌駕している時代。

SNSが発達した現在、市井からの「ちょっと変な話」は当たり前になり、淘汰されて質が上がった。
そういう淘汰のない時代、読み物に耐える物語を提供できるのはやはり作家の筆力なのだろう。

ただ、当時、日本の中の異世界性を際立たせる意味あいで書かれたルポ。今読み返すと、読み手の興味はその新奇さではなく、その当時の時代風景や世相である、というのは少し皮肉だ。

あの子は今何をしているんだろう。