半熟三昧(本とか音楽とか)

半熟ドクター(とはいえ気がつくと医師20年選手だけど)の読んだ本とか音楽とか

『八甲田山消された真実』伊藤薫

オススメ度 70点
まず映画「八甲田山」か新田次郎の小説を読んでくれ話はそれからだ度 100点

八甲田山 消された真実

八甲田山 消された真実

Kindle日替わりセールにて。

何を隠そう僕は映画『八甲田山』が大好きだ。

タワーリング・インフェルノ」などの洋物ディザスタームービーがヒットした時に、和製ディザスタームービーを目指して豪華な俳優陣で作られた大作!
(かかった手間の割に興行はいまいち…)。
軍隊ものというよりは中間管理職の悲哀を描いた社畜必見の映画である。
退屈な画面やプロッティングも、雪山の忍耐を追体験させてくれるような気さえする。
3時間の長尺のほとんどが雪山で、画面が白っぽく変化がない。
観ている自分が「眠るなっ!眠ると死んでしまうぞ!」になってしまう。
大抵寝落ちします(笑)。

そんな映画八甲田山の原作は、この前もとりあげた新田次郎による文学作品。
halfboileddoc.hatenablog.com
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話は戻るが。、この本は、青森駐屯地にずっといた自衛官である筆者が「映画はフィクションであって、リアルな八甲田山遭難事件はだいぶ違う」ということを書いた本。

弘前連隊の福島(映画では徳島)も青森連隊の神成(映画では神田)も、あえてコントラストをつけるためにかなりの脚色をされているということである。

青森の連隊には何事も弘前に負けるなという空気があったし、それは、現代の自衛隊でも継承されているらしい。
そもそも一つの県に二つの歩兵連隊があるのは、戊辰戦争で官軍に反抗した南部藩岩手県が新政府から冷遇されたから。
また、舞台の再編成で、青森五連隊は県外出身者(岩手・宮城)が多く、青森の豪雪に慣れてなかったことも一因。

だから身も蓋もない話だが、岩手県に歩兵連隊が置かれていたら、この対抗意識も、この事件も生まれなかったんじゃないか、ということだ。

弘前連隊の福島隊(映画では徳島隊=高倉健
映画では、メンツにこだわらず安全を重視した高倉健、という雰囲気の弘前の福島隊。
史実は全く逆で雪中行軍で功名を立てたいという利己的な理由で、無謀な計画を実行した虚栄心の強い男であったそうだ。(前年の岩木山雪中行軍にしても、自分の隊を使わず見習い下士官を使い、多数の凍傷者を出したが上層部に評価されたのがそもそもだそうで……)。
 行軍計画こそ、八甲田山系を一周するという勇壮なものであるが、案内人を雇い、民家に宿泊するという形。映画では触れられていないが、民泊は形ばかりの手間賃はでるが実費に見合ったものではなく、拠出というかタカリに近いものであったそうだ。酒なども出させたり。住民は泣き寝入りするしかなかったらしいぞ。
 また、八甲田山の踏破には案内人を7人雇っている。
 腰以上まで埋まってしまう新雪の道を歩くのは大変。先導させカンジキで道を踏み固めるのは相当な体力を要する。つまり案内人を「ラッセル車」がわりに使ったのが真相のようだ。おまけに荷物を取り上げて逃げられないようにしたりなど、完全に奴隷扱い。この辺にも大日本帝国陸軍の民間軽視の原型が見え隠れする。
 総括すると、福島隊は、困難な雪中行軍という功名が欲しかっただけで、対露戦にむけた寒冷地行軍のシミュレーションを無視したものだった。あれは一種の「冒険」であったのではないか、というのが筆者の弁だ。
さらに、個人的功名心が満たされたが、青森連隊の遭難事件が起こってしまい、評価どころではなくなったのだが、そこで、福島大尉は、知り合いの新聞記者にわざとリークし、自分の八甲田山系一周雪中行軍の顛末を新聞記事にさせた。
 その記事は当然青森連隊への批判に火に油をそそぐ。この行為は陸軍への背任行為に近い。
 上層部をたいそう怒らせた結果、閑職に飛ばされてしまったらしい。

・青森連隊
アホな上司の指示で右往左往させられる北大路欣也。ま、これは史実通りのようだ。
しかし本当の問題は、計画立案と報告書のところがズブズブなこと。
予備演習では小峠までいったことになっているが、報告書の時間が合わない。おそらく報告書・計画書の改ざんがある。
形ばかりの予備演習で済ませた、ということだ。
また、予備演習から、本演習も、時間がない。多分弘前連隊よりも早く青森に帰るために逆算して計画したのではないかということであった。また、2泊3日の雪中行軍計画いうことに後付けでなっているが、関係者の証言や手紙をまとめると、田代温泉で一泊で帰路につくという計画だったようだ。
それを後の報告書で2泊3日としたのは、かなりの日数右往左往していたのに、救援も連絡もだしていない本部の責任回避のための改ざんらしい。
一度もたどり着くことができなかった「田代温泉」であるが、一般的な温泉街のようなものでは全くなく炭焼き小屋に毛が生えたような小屋が二軒あるだけで、とても温泉として大人数が使えるものではないし、そもそも冬は小屋自体も見えないものだそうだ。要するにだれも田代温泉に行ったことがなかったのに、田代温泉を見つけられるはずがないのだ。
この隊については、訓練不足による初歩的なミスも多い。雪壕を掘るが、地面まで掘り進まず、火をくべたら、足元の雪が溶けて、火だけが下降してゆき、暖をとるどころではなかった、とかコントのような光景が繰り広げられる。ソリによる輸送もそうだ。絶対に事前訓練が足りない。
筆者によると、神成(映画では神田=北大路欣也)の直接の上司として間違った判断を下していた山口少佐(映画では山田)もさることながら、この遭難事件の責任はおそらく津川連隊長にある。弘前連隊との対抗意識から、部下に命令を下ししかし丸投げ。ずさんな計画とその発効。
それに遭難事件が発覚したあとも緊急事態の一報を聞きながら通常通り定時に帰宅している(サイコパス!)し、それなのに第一報を聞いた時から「救難」ではなく「遺体収容」として部隊を出させた。そのため初動が遅れた。最初から救難として動いていれば、もう少し生存できた可能性はある。
また、報告書も、辻褄合わせのために事実と異なることを平気で書き、結果更迭されることなく(むしろ栄転)で任期を終える。昭和軍部の参謀本部などにあった悪弊が、ここでもでている。
そんな上層部に翻弄された神成大尉、気の毒といえば気の毒だが、有名な「天は我我を見放したっ!」云々のくだりは同情できるが、やっぱり指揮官としてそれを言っちゃあおしまいだよなあ……一番大事なところで、兵の士気を奪うのは、そりゃあかんわ、ということらしい。これもわかる。たとえ、指揮官の実権を奪われたとしても。

ま、どっちもどっち。
いずれにしろ、旧軍部の欠点が露呈している事件だと思う。
読んでいてげんなりする。司馬遼太郎岸田秀の気持ちになれることうけあいだ。

日本的組織ってこういう組織的欠点を内包していることを常に念頭に入れとかなきゃなんない。
自分がダメ指揮官にならないように、と思うと、こういう事件はすごく反面教師になります。自戒しよう。