半熟三昧(本とか音楽とか)

半熟ドクター(とはいえ気がつくと医師20年選手だけど)の読んだ本とか音楽とか

『ブルックリンでジャズを耕す』

オススメ度 90点

僕がピアノをするにあたって最も勇気づけられた本。
そして、「中年ロード」を歩むことに絶望しないでいられるきっかけを与えてくれた本である。

* * *

大江千里といえば『かっこ悪い振られ方』などで知られるシティ派ポップシンガー。
我々前後の世代では知名度は高い。
その後も楽曲提供なども含め、邦楽ポップス界で順調に仕事をしていた大江さん。

しかし、47歳の時に、「大江千里」としてのポップアーティストとしてのキャリアや仕事をすべて捨て、単身*1渡米。
ジャズピアニストとして再出発ためにニュースクールという*2音楽大学に入学したことは、当時タブレットを使い始めた僕は、カドカワのミニッツブックという電子配信書籍で知った。

47歳にしてジャズピアニストとして、というかジャズスクールの学生として再出発というのは普通考えたら無理な話。
しかも今ある仕事を全て放り出してですよ?
クレイジー。無謀やな。
多分本人もいろんな声を聞いたことだろう。

実際にニュースクールでは、言葉の壁もあるし、ジャズの素養がなさすぎて、楽器の技術的にも若い同級生にはるかに劣り、しかも歳だから物覚えもよくない。日本でトップミュージシャンだったプライドもあるだろうし、相当屈辱の日々だったんだと思う。
けど、それ以上に、氏にとっては、深遠と思われたジャズの種明かしがされ、自分の血肉になっていく喜びが優っていたようだった。

そんな学生時代の意気込みや不安は、ミニッツブックのエッセイで読んでいた。
『9番目の音を探して47歳からのニューヨークジャズ留学』

音大学生の時のエッセイはこれにまとめられている。

* * *

卒業後、マンハッタンからでてブルックリンに住み、ジャズ活動を続けている。
ジャズの語法を自分のものにして、そうやってテクニックを確立すると、氏が本来もっているポップスで培われたメロディーメイキングやリリシズムのセンスが、きちんとジャズを超えて、立ち上ってきたようである。

ある日、フランスから来たサックスプレイヤーとリハをやっていたときのこと。少し休憩しようとデッキで話し込んだら、こんなことを言われた。
「きみは今からニューヨークの分厚い層のビバップのパイの中に入っていくつもりなの?もしくは、ロバート・グラスパーのやっているような複合リズムの世界に参戦するの?そこにはもういっぱいのプレイヤーがひしめきあっている。もっと君独特の曲調を生かしたオリジナルをやるパイを自分の手で作った方がいいのではないか?」
彼は真顔だった。
「それをやったら僕は支持するな。フランス人の僕の耳にも心地よいその世界を、なんて言ったらいいのかな。君にしかない音楽?それをやる意味があるのではないかな」

結果的には確かなBopの技法の下に、彼なりのうたをきちんと伝えられているのが現在だ。
「Whimsical」という言葉が持つニュアンスの世界、らしい。
 
今までの経験は、ジャンルを急に変えると、最初は生かすことができない。
が、だんだん経験が深まって、あるレベルを超えると、今までの経験の池と新しい池がつながる瞬間がある。
その時、急速に進化したように見えるが、過去の経験が今のジャンルでも使えるようになったのである。
今までやった経験は、何一つ無駄ではない。

* * * 

本を読んで感じたのは、この大江氏のライフスタイルは、きわめて21世紀的ではないかということ。
人生は長い。
陳腐化した遺産を脱ぎ捨て、自分の好きなものを突き詰めて、そして、1日30食しか出さないこだわりの蕎麦屋、みたいな音楽を届ける。
結局人は音を聴いているのではなく、人を聴いている。
技術とパッケージで音楽が決まるものではなく、ストーリーとナラティブで勝負することはできるのだ。

むしろポップ・アーティストとして活動を続けていたら、先細りの日本のマーケットでは難しいことだったのかもしれない。
自分の生き方を見つめ、それを貫徹する。
意思の強さ、意味づけの大切さを知ることができる。
すごいなと思った。

 * * *

実はトロンボーン歴を30年以上続けている私だが、6年前からジャズピアノに手を出している(ピアノ経験なし)。
基本的にピアノってやつは大人になってから始めても大成しない楽器だ。
自分でも「無理やろ」とも思ったが、NYに渡ってゼロからジャズピアノに取り組む大江千里の奮闘を読んで、実は密かに勇気付けられていたのだ。
僕は職業ミュージシャンではないし、そこまでの切迫感はないが、
全くピアノ素養ない人間が大人から始めた、という制約では考えられないほど弾けるようにはなった。
枠にはめるのは自分自身で、可能性なんてやってみないとわからないものだ。
やってから後悔すればいい。
大江千里の行動をみて、強くそう思う。


せっかくなので、今の大江千里の作品を聴いてみた。

Boys & Girls

これは、大江千里のポップ曲をソロピアノでリアレンジしたもの。
なるほど、こんな感じか。ジャズの素養に裏付けられてはいるけど、メロディーを大事にしている。
弾き倒す系ではない。

Answer July

answer july

answer july

こちらは大江千里の楽曲に、ボーカリストが英語の歌詞をつけたもの。
ジャズスタンダードのような堂々とした正攻法のアレンジで、聴きやすいし、カラフルなアルバム。

ピアノの技量を見せつける、弾き倒す、のような「油っぽさ」がない分、バッキングに徹したサウンドディレクターっぽいピアノだ。

*1:正確にはミニチュアダックスフントを連れて

*2:バークリーみたいなもんです