- 作者: 城山三郎
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1986/11/27
- メディア: 文庫
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ただ、そういう「残ってる本」って間違いないよね。
東京裁判で選ばれた7人のA級戦犯のうち、文官でただ一人選ばれた広田弘毅。その人の一生を書いた作品。
懐の深い官僚であり、どちらかというと非戦論者だった彼が、なぜA級戦犯にならなければならなかったのか?
軍部をおさえることに腐心したが、止められず、国を滅ぼしてしまったことに、軍部以上に心を痛めた彼は、東京裁判に関係なく、自らを断罪し、端から弁明をいっさいしなかったため、誤解され、A級戦犯になってしまった。
…ということらしい。
ちょうど、会津若松に行く出張の道中で読み、またドラマ「八重の桜」で会津鶴ヶ城落城の時期と重なっていたこともあり、敗戦の日本と、敗戦した会津藩とが妙にシンクロして、とても悲しい気持ちになってしまった。
白虎隊を美化することと、特攻隊を美化することは同根である。
白虎隊は悲劇である。
しかし、白虎隊の美化は特攻隊につながった。
特攻隊の美化はまた次の世代の悲劇につながるのではないのだろうかと思う。
いくら個人のレベルで、素晴らしいと思われる心情でなされたことだって、称揚すべきでないこともあると思うのだが…日本人の「共感力がありすぎる」という弊がでている。
広田は、特攻とかとは関係ないが、敗戦後に一切弁明しない態度などは、生命の尊重が感じられない点においては特攻とかわりがないように思う。
しかし、外交官という 母語と多国語との齟齬や、西洋式のディベート文化のありかたを知り尽くしている彼が、東京裁判で証言台に一切たたず、弁明をしなかったというのも、正直理解に苦しむ。
東洋的な考え、としても、四書五経にあるように、自らの肉体が滅しても後世へ自らの正しさを主張するのが当たり前である。広田の行動は、西洋人にも、中国人にも理解しがたい、東洋人の「いさぎよさ」であり、これは、すでに戦後60年を経て、変容した文化の中で育った我々にも、やはり理解しがたい。
西洋文化と東洋文化の端境の中で戦ってきた男がそのような事を知らぬはずもあるまいが、だからこそ最終的にこのような態度をとった事こそが、彼の凄みなのかもしれないが。