- 作者: 須原一秀
- 出版社/メーカー: 双葉社
- 発売日: 2009/12/09
- メディア: 新書
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…えーと。
「中年のおじさんで、『えっ?なんであの人が?』みたいな感じで死ぬ人いるよね。たとえば三島由紀夫・伊丹十三とか。実はこの手合いのはしりはあのソクラテスなんだぜ。
あいつ『悪法もまた法なり』とか言って従容として死んでいったとか、そんな逸話で残されているけど、明らかに死刑を口実にしていて、要は死にたいっぽいんだよ、彼。
この3人とも、何かにかこつけて、死にたかったとしか、思えないんですよ。
これって、死にたいほどつらいことが死に向かわせるわけではなく、むしろ「まず『死ぬ』ありき」で、直前に起こったことは、その最終段階のきっかけに過ぎないんだよね。
ある程度人生の楽しさなどを味わった人は、死ぬことに未練がないんじゃないかな。
え?なんでわかるかって?
なぜなら、こうやって論じている僕こそがそうだからね」
と、この須原さんという哲学者は、遺稿にこれを残して自殺した。
まあ、わからなくもない。調子いい時に死ぬ、というのはなんとなく自分もその道を辿りそうな気がするから。
しかし、筆致はぬるめで、微温的な感じがつきまとうのは、哲学者といえど、現代の作家、「わかりやすくある」ことから逃れられないのだろうか。たとえば三木清の『人生論ノート』は言葉 短く、強い。それに比べて、このおじさんの、すごく大事なことを語りながら、冗長な文章はどうだ。
どうでもいいけど、やっぱり男は女より死にやすいと思う。
そして、一旦死のうと思ったら、家族っつーのもあんまり関係ないのだと思う。逆にいうと、家族ってもんがありながら、自分というもんを大事にしているやつが、死ぬのだと思う。じゃあ俺は死ぬな。
ちなみにこの本で挙げられていた本として、『白い部屋で月の歌を』朱川湊人という小説もあり、Amazonで取り寄せてみました。