- 出版社/メーカー: アスミック・エース
- 発売日: 2004/08/06
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以前に原作本を読んで(その時の感想→http://d.hatena.ne.jp/hanjukudoctor/20051105)、一年以上経って、借りてみました。
なるほど、よかった。
映画は、原作よりもいいと思う。原作は短編なので、比較することはアンフェアだとは思いますが、原作→映画化でがっかり というのが殆どのこの世の中、原作よりいいと思える映画に出会えたことはささやかな幸福ではないかと思う。
ま、筋を一言でまとめると、ツンデレ、ということなんでしょうけども。
しかしツンデレという言葉はあくまでも、ツンデレられる男側の視点の話で、ツンデレする側の心情に立ち入られることは普通ない。そういう意味では「ツンデレ」という文脈において物語が語られる場合、その人格は非人間的な(NPC的な)扱いを受けることになる。
この話は、ツンデレをする側=ジョゼが主体である。原作では、ジョゼ視点が7、男視点が3くらいであったが、映画では、男の視点で話は進み、ジョゼの視点は意図的に隠されていたが、最後、二人で旅行に行ったあと、寝ている場面で、ジョゼが独白のような語りかけのようにつぶやく。ここはジョゼの心境がほの見える、いい場面だ。
確かにジョゼのような境遇というのは見ている人の立ち位置とはかけ離れているのだから、共感しにくいに違いなかろう。映画はこの、一見通俗的なタイプに置き換えるやり方が非常にうまく作用していると思った。
少し気になったのが、身障者という言葉が、明らかに差別的なラベリングのニュアンスで用いられていたことだ。文字にすると「シンショーシャ」と表すのが最もぴったりとくるようなニュアンスである。視聴者に冷や水を浴びせるような効果がある。たとえば『カムイ』とか昔の漫画で、特に悪気無く使われる「めくら」などの言葉は、今の基準でいえば、ポリティカリー・インコレクト・ワードであるが、文脈としてそれほど悪意はない。今回のこの「シンショーシャ」という言葉は、それとちょうど逆だ。
これは、ありなのか?基準がよくわからない。非常にリアルではあると思ったが。
あと、妻夫木君は僕のなかでは『木更津キャッツアイ』のテレビ版最終話に出てきた『リトル山田』が強烈にすりこまれているので、普通にいい役をしてても、どうしてもリトル山田感があったので、この映画の役は、リトル山田度が高かったので、違和感がなかった。
くるりのエンディング曲が非常によかったです。
大してネタバレはしないが、一応隠します。
なんといっても、金井晴樹だ!
原作には出てこない金井晴樹というキャラがとてもいい。とはいえ、金井晴樹「が」いいというわけではなく、金井晴樹「で」いい感じというニュアンスなのですけれども。なんだか、この金井晴樹というオリジナルキャラ一つで、話にずいぶん奥行きが出たように思えるのです。
いいセリフは沢山あったのですが、
帰れ、帰れって行われて、帰るようなやつは帰れ!
というセリフが、一番ぐぐぐっときました。
最後、身障者用のスクーターでぷいーんと移動しているところが、とても寂寥感があった。