半熟三昧(本とか音楽とか)

半熟ドクター(とはいえ気がつくと医師20年選手だけど)の読んだ本とか音楽とか

iPhoneはどこが凄いのか―演繹的にマシンを設計するということ


 2007/1月9日のマックワールドで遂に幻のマシンiPhoneが発表されました
 すごいですね。鼻血がでそうです。

 僕は大して携帯電話を使いこなしていないので、携帯とか、カメラ機能とか、OSがMac OSXであるとか、ブラウザ、各種ウィジェットが使える事とか、そういうのはどうでもいいんですが、とにかくインターフェイスに驚愕しました。一言で言うと、

 物理的なボタンはHomeボタンしかない。その他は液晶パネル上のタッチセンサにて操作

 ということになりますが、モバイル機器としてこれほど普遍性に迫ったデバイスが、今まであったでしょうか。

 まるでグレッグ・イーガンの小説の中に出てきてきそうです。

 iPhoneの持つこのインターフェイスは、モバイル機器の本質から必然的に導き出されたものです。

 もちろんこうしたインターフェイスの実現には技術的なハードルがありますから、今までのPDA機、たとえばPalmや、Zaurusなどが設計された当時には明らかに不可能なことでした。
 Palmの設計思想は、その当時の技術レベルとの折り合いから言えば、優れていたものだと私は思っていますが、そこから進化していったその後のPDAバイス達は、一旦そうやって具現化した機械を漸進させる形でしか進化しませんでした。たとえば一時的にPalm OSを席巻したSonyClieMicrosoftの規格、Pocket PCなどがまさに好例といえましょう。少し方向性は違いますが、種々の携帯電話もそうです。

 iPhoneの優れている点は、漸進してきた今までの方法論(つまり帰納的なアプローチ)を離れ、再び演繹的なレベルまで戻り、新たなデバイスを作りあげたことにあります。皆がiPhoneを見てあっといったのは、このiPhoneが、皆が思いもよらなかったデバイスではなく、一度は夢想したものの、棄却していた理想型に近いデバイスだからでしょう。

 幾何学の問題で、補助線を引くと一挙に解法が露わになることがありますが、それに似た知的快感が、iPhoneにはありました。
 "コンセプトを形にする"という事の本当の意味と凄みが、改めてiPhoneによって示されました。iPodでもそうですが、この様なアプローチを継続してとりうるジョブズは、本当に凄いと思います。


 実際のところ、おそらくiPhoneは発表されても、それほどは便利なものとはならないかもしれません。実際の操作感は未知数ですし、駆動時間の少なさは、この様なデバイスとしては致命的です。携帯/シリコンオーディオ/ウェブブラウザ/PIMをすべて兼ね備えるデバイスの駆動時間は、当然そのデバイス各々の駆動時間の総和が必要であることは容易に想像がつきます。
 しかし、iPodもそうでしたが、1-2年経てば、技術的には漸進して、使い勝手はかなりよくなるでしょう。そうなったら、我々のモバイルライフは、どのように変化するんでしょうか。

 昔私は自分のサイトで、PDAに関するコーナーを設けていました。
 Sony CliePDA市場を荒らし、撤退したお陰で、日本においてPalmのプラットフォームは事実上絶滅し、現在私はこうしたモバイルギアは使っておりません。Palmのコーナーはデッドコンテンツになり、私はこの部門から撤退しました。

 このiPhone、私の錆び付いたモバイル魂に火を付けうる存在です。非常に興味深いと思います。