- アーティスト: フォノジェニカ
- 出版社/メーカー: インディーズ・メーカー
- 発売日: 2005/04/15
- メディア: CD
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事前情報がジャケしかない状態で買ったにしては当たりだった。
"Milk Bossa"という盤(←http://d.hatena.ne.jp/hanjukudoctor/20060927)に通じるところがある様なアルバム。
私は「イマドキの(他ジャンルの)曲をボサノバにてカバー」というコンセプトのアルバムは無条件に買ってしまいます。このアルバムではカーディガンズ/エルビス・コステロだったり、割とにやりとする、かなり「うまい」選曲をしています。
自分も音楽をやるときはこういう切り口で、曲選びをよくやりますが、そういう時はまるでなまはげのように「いいメロディーいねがあ〜」と他ジャンルの美メロを血眼になって探したりするもんです。その経験上からいえば、この選曲はかなり巧妙。
ま、演奏自体は、ボサといっていいものかはわからないです。演奏の精度は高いし、楽しめる盤であることは確かですけれども、ボサ風のサウンドってやり方決まってるからなあ。ボーカルは、少し個性的ないい声。唄い方はワンダ・サーの系譜である、「きちんと腹式呼吸してねえんじゃねえか」系。
例えばジャズという音楽にも、ローカルな要素とグローバルな要素がありますよね。ローカルな要素とは黒人由来のリズムであったりしますし、グローバルな要素というのは(コスモポリタニズムというべきかもしれないが)インプロヴィゼーションとか、いわゆる抽象的な方向。
もうちょっと具体的にいうと、パットメセニーのやっているような事はウィントンマルサリスに言わせるとジャズではないし(ローカル視点)、マイルスに言わせるとウィントンマルサリスはジャズではない(コスモポリタニズム視点)。
ボサノバに関しても同様でありまして、J-Bossaといわれるものは、いわゆるローカル視点ではボサとはいえないわけです。自分の中でもボサというには抵抗がある。バイーアの風はまったく感じられないから。
しかしサウンドのあらましは、例えばこの前言及したMilk Bossaなどと、結果的に酷似しているわけです。Clementineなどもそう。
結局都市生活者向けの、Cholinergicな知的ミュージック、というのがボッサの本質、と言うことになるのかしら。我々はボサを聴くとブラジルっぽさを感じるが、アントニオ・カルロス・ジョビンはいわゆるインテリ層だし、彼らは土俗音楽から離れたソリッドさを自らのアイデンティティとしていたわけで、ボサの持つこうした脱土着傾向が、今日のラウンジミュージックでのボサの隆盛となっている側面は、否定できないと思う。