半熟三昧(本とか音楽とか)

半熟ドクター(とはいえ気がつくと医師20年選手だけど)の読んだ本とか音楽とか

”This Man”

意外に、大きな話だと思ったら、小さくまとまったな…という感想。

『BLOODY MONDAY』『ACMA:GAME』の恵広史最新作は、戦慄のサイコサスペンス!「似顔絵の男」による連続殺人を食い止めろ! 2006年、ニューヨークで、ある女性が「眉のつながった男が夢に出た」と訴えた。その男は、他3000人の夢にも現れ「This Man」と呼ばれた。現代、似顔絵捜査員の天野斗が、ある母娘が目撃した「謎の不審者」の似顔絵を描くと、そこには「This Man」の姿が…!

物語の焦点である「眉の繋がった男=This man」の正体が、わからないまま話は進む。
主人公というか狂言回しは「似顔絵捜査官」。
しかし「世界を揺るがす謎の男This man」というイコンは、結果的には主人公の個人的なヒストリーにつながるという、言ってみればセカイ系のお話。

* * *

ま、要するにThis manというネット上のオカルト話が所与のものとしてあるわけ。
(僕は全然しらないんだけど、トイレの花子さん的な有名なやつなの?)
それを素材に、オカルトじみた話を一切介入せず、論理整合性のあるプロッティングの、材料の一つに過ぎないところに、この漫画の悲劇がある。
ストーリーがきっちりし過ぎていて、最後まで読んだら、当初の不気味さが全部種明かしされてしまうのよ。
だからミステリー的には楽しく読めるわけだけど、読後の「余白」がないがゆえに、全然怖くないのである。
作者は、明晰すぎるのである。「This manの得体のしれなさ」を、少しは利用したらよかったのに。

激辛料理を食わされると思ったら、辛味はあるけど、普通に普通に美味かった。みたいな読後感である。

例えば、楳図かずおは、普通の筋のパートを描写していても、作者の頭の中に理解不能部分が多過ぎて、そこはかとなく怖い。
まともじゃないんじゃないか…という怖さ。諸星大二郎にも同様の怖さがあるよね。

『9で割れ‼︎』矢口高雄

釣りキチ三平」の矢口高雄
この漫画が流行った頃の私は、釣りはおろか、超インドア少年で、全く興味がわかなかった。

しかし、アウトドアや自然に興味がようやく湧いてきた昨今。
人生も折り返し地点を過ぎ、自分は世界の主人公ではないことにようやく気づくわけである。
そうやって周りを見渡すようになり、世界の美しさに、やっと気付かされた。

* * *

最近、矢口高雄氏の絵が、当時の作画水準を考えても、頭抜けてうまい、どうなっているんだ、というブログ記事があった。
togetter.com
秘密は、銀行員時代、地方支店に配属の際に下宿した素封家に所蔵されていた名画コレクションに出会ったから、らしい。
m-dojo.hatenadiary.com

そのブログ記事に、会社員時代の回顧録「9で割れ!」が取り上げられていた。
早速読んでみた。

新卒で銀行に就職した矢口氏の青春時代。
エクセルもなく、そろばんで計算。
リアルマネーしかない昭和の時代。就職した時分の、昭和まっただなかの生活描写。
懐かしい部分もあり、そこまでのディープな昭和は経験したこともない部分もあり。

印象的なのは、飲み屋の女性と懇ろになり、不正を行い銀行を去る同僚の話。
「一度不正をした人間は二度三度不正を働く」という上司の重たい言葉。
この辺りの「烙印が消えない」やり直しのできない世界は、今よりももっと厳しかったことを思い出す。
(ただし、アンダーグラウンドの世界も、今よりは広く、住み心地もよかったとは思う)

* * *

三巻〜四巻は、銀行員をやりながら、釣りなど趣味を楽しみ、妻を迎え社会人として地歩を固めていく反面、漫画との邂逅(劇画ブーム)によって漫画魂に日がつき、銀行を退職して漫画家になるまでの葛藤と奮闘が描かれる。

遅咲きの漫画家としてのハンデがあれど、結局趣味の釣りを生かして「釣りキチ三平」に結実、ヒット作家となった。
後日譚の漫画はあるんだろうか?*1

現在さまざまなジャンルを深掘りした専門分野の漫画が沢山あるが、考えてみれば、矢口高雄の「釣りキチ三平」が嚆矢かもしれない。

それまでの漫画は、その分野に関して「素人」でも描けるくらいの深度、空想と関連文献や取材で描けるレベルに留まっていた。

しかし「釣りキチ三平」は深い取材か、その分野に通暁した人生経験を通してしか書けないリアリティがありだからこそ釣りブームを牽引することができた。

ブラック・ジャックも、手塚治虫の「医師免許持ち」という経歴をふんだんに生かして生み出されたわけで。

この頃から「空想」だけでは描けない漫画が漫画シーンに出現し始め、現在の漫画の「多様性」につながる。
と考えると、矢口高雄氏の功績は、我々が思っている以上に深いのではなかろうか、と思う。

とはいえ、リアリティがあるのかないのかよくわからない「キャプテン翼」が、むしろ本場ヨーロッパを席巻し、現在のヨーロッパの名選手が、むしろキャプテン翼を愛読している、だなんて、空想が現実を席巻する、みたいなこともある。荒唐無稽な男塾もキン肉マンも、世の中には深く影響を及ぼしているし、世の中は面白いもんではある。

*1:矢口氏の中学生時代の漫画『螢雪時代』はまた紹介しようと思うが、かなり面白かった

『体育会系 日本を蝕む病』サンドラ・ヘフェリン

ドイツの帰国子女(日独ハーフ、ミュンヘン出身)の書いた、ここが変だよ日本社会、的な本。
その他帰国子女の体験に根ざしたハーフのバイリンガル教育についての問題提起などの著作あり。

「体育会的思考」が日本の画一性、硬直性につながっているという主張。
ま、自分の経験に照らし合わせても、日本でグローバリズム、多様性が根づきにくいのは、日本社会特有の「同調圧力」のせいだよな、と思う。

多文化共生、という視点では日本社会のこれはよくない。

体育会的思考は、まとめるとこんな感じだ。

  • 「個」より「全体」を優先する
  • スローガンの唱和など、構成員に「思考停止」を要求する
  • 立場の弱く能力の低い人がムリめな課題に一生懸命とりくんでいる、パターンをよしとする
  • 「我慢」「忍耐」で問題解決をはかりがち。
  • 「連帯責任」
  • 「男尊女卑」と「年功序列」(このあたりは上記の「思考停止」であるための装置として作用する)

ドイツから日本にきて、異様に感じた団体規範。これを「体育会系」と言語化したサンドラ・ヘフェリン女史は鋭い。
しかし、それは「日本的ムラ社会」と言われ、昔は体育会系問わず、あまねく見られた。
立場を持たない市井の文化人(彼らは考える頭があるのに「思考停止」を強制された恨みがある)によって、戦後民主主義の名の下に誅殺されたムラ社会主義は次第に追い詰められている。
現代日本にはムラ社会は「体育会系」にのみ保存されているのかも知れぬ。
しかし、これも、21世紀に入ってアップデートを迫られ、今や絶滅の危機だ。

僕が子供の頃の感覚では、体育大学で、暴力は勿論の事、言葉による「しつけ」さえ社会に容認されない時代がくるとは思わなかったな。

ただ、医療介護現場では昔からのクソ価値観を保持した高齢者は稀ではない。
年功序列、男尊女卑。
若い女性のスタッフの言うことを聞いてくれない。ファッキン。
hanjukudoctor.hatenablog.com

* * *

日本経済が日の出の勢いの場合は「ジャパンアズナンバーワン」なんて言っちゃって、夜郎自大的な自己肯定がまかりとおるわけだけれど、
斜陽の日本が続いた時は、こういう「日本ここがいかん」的な本が取り上げられるのもよくある話。

しかし、長所と短所は紙一重。ピンチはチャンスでチャンスはピンチでもある。

「体育会系」的思考は、同調圧力を強いるという点で、自分の頭で考えさせない(思考停止)という欠点があるが、これって「どうせ大多数の人間は自由に考えさせても大した発想でてこない」というリアリズムに裏打ちされている。
バカは自由選択などさせずに従っていればよろしい、ということだよ。
昭和の組織(明治大正でも)ある程度組織力をうまく推進させることができたのは、まあそういうこと。

それに「思考停止」して作業に没頭も、一概に非難されるわけではない。
ベクトルでいうと「向き」と「量」。
「量」の部分には頭はそんなに要らない。
例えば、個人的な業務遂行でも、「頭」を使う部分もあるけど、仕事の8割は「頭」使わずに邁進する部分だったりする。それこそ「バカ」になって。
多様性を認めるヨーロッパ(筆者はドイツ)では、逆に、ヒエラルキーもなくフラットに議論していても、声のでかいやつが勝つし、物事が決まらない、なんてことはしょっちゅう。

ミヒャエル・エンデの「ミスライムのカタコンベ」を思い出すような話だ。

参考

halfboileddoc.hatenablog.com
halfboileddoc.hatenablog.com
山本七平は「空気の研究」とか「日本人とユダヤ人」みたいな日本的組織に対する経験的な憎しみを言語化して、延々とそれを書いている人。しかし、当初は偽ユダヤ人という形でしか開陳できなかったのは、戦後ではあるが、まだまだ同調圧力の強かった時代だなと思う。
それにしても、山本七平本田勝一はなぜあの時期論争しなきゃいけなかったんだろう。冷静に「同調圧力ムラ社会ニッポン」的視点で見たらお前ら二人ともアウトサイダーだろ、と思う。

halfboileddoc.hatenablog.com
開明的な山口周氏(頭いいよね、この人)視点で、21世紀に入ってムラ社会が壊れつつある流動社会の中での生き方のヒント、的な本。
読み味はこの「体育会系」に結構近い。

halfboileddoc.hatenablog.com
私の大好きな 映画「八甲田山」も、同調圧力と「思考停止」日本的社会の脆弱点を描いている。
そうか、だから俺この映画が好きなんだ…

halfboileddoc.hatenablog.com
京セラの稲盛会長イズムは、「日本的なムラ社会」を現代に通用するようアップデートしたしたものだと思う。
盛和会では、経営者が贅沢することを強く戒めているが、これって、トップが「ムラ社会」の構成員から外れないためなんだよね。
そういう形で上と下の同質性を担保しないと「ムラ社会」ならではの緊密さは保持できない。
トップは村長(むらおさ)くらいに留まって「国王」になってはいけないのである。

halfboileddoc.hatenablog.com
halfboileddoc.hatenablog.com
halfboileddoc.hatenablog.com
この辺りは、「体育会系」の前身である軍隊方式の恨み節。

鴻上尚史山本七平を受け継いで「空気」に対する論考をいくつか出している。

『仕事のムダを削る技術』

ビジネス的なやつ。だいぶ前に買っていたけど、随分放置していた本。*1

漫然と仕事をしていると、あまり思わないけれど、同じ仕事を続けているとだんだん仕事量が増える。
と、今までのやり方ではこなせなくなってくる。
そんな時に「効率化」という意味で無駄を削ることはある。
僕はそういうの割と得意なんだけど、そういうライフハックの一つ。

まあ、そんなに難しい話ではない。
・仕事を要素分解する
・無駄な仕事をしない6つのステップ「決める」「仕分ける」「絞る」「マルチタスク」「仕組み」「協力」
・締め切りを作る。1日の仕事を棚卸しする(仕分ける三つの視点(過去・現在・未来のバランス)
・会社・チームのビジョンや目標にそった仕事をよく理解する
・優先順位がわからなければお手本を探す(ゼロイチは必ずしも必要とされない)
マルチタスクのコツ=この辺は個人差があるので、参考になる部分は限られるが、一読。
・「仕組み」→定型の部分をさがす
・コミュニケーションの無駄

いわゆる仕事のできる人の仕事論として、参考になる部分も多い。
定型業務の「仕組み化」を考える時にさっぱりどうやったらわからない、という場合には、こういう本が参考になるんじゃないかと思う。
ただ、仕事の能率が悪い人はこの本読まないだろうし、読んでもわからないような気はする。

割と手元の業務に関する話ではある。戦略というよりは戦術論。
しかし、戦術論ではあるが、あまり具体的な話はなく抽象度は高く(たとえば、自分が実際に使っているワークシートとか、業務効率化の実例、などが例示されているわけではない)、その分即応性は高くない反面、業種の特殊性を考えずに読めると思う。

*1:2014年に購入していた。最近KIndle積読の整理を心がけているので、購入日が随分前の本をとりあげることが多い

『女を書けない文豪たち』

翻訳家でもあるイタリアの女性が書いた、日本文学に関する本。
どことなく、アンジェラ・アキ的な風貌の方。
www.kadokawa.co.jp

もともとは源氏物語の世界にどっぷりとハマり、そこから明治大正の文学にも親しむようになったというイザベラ女史。
日本文学は、一般的な日本人よりも数十倍造詣が深い。

文学作品における「女性の描かれ方」を通じて、その文豪たちの性格とか社会背景とかエピソードを掘り下げてゆく、という面白いアプローチをとっている。

明治期の江戸にはなかったヨーロッパの「ロマンティック・ラブ」概念が、社会に膾炙してゆくなかで、明治の文学は大きな役割を当然果たしたわけだけれども、そこにはやはり頭でっかちであったり無理していたりして、いろいろな矛盾を飲み込んで作品は生み出されていった。
王朝時代の恋愛に比べて、明治時代の文豪たちの描く恋愛は、女性のことがわかっていない不器用極まりないもので「恋愛偏差値」がガタ落ちなのはなぜか…

ま、なぜか…というよりはそれぞれの文学作品におけるケーススタディをやっているような感じだった。
かなり雑多な明治文学のいろいろを「男女関係」「恋愛」「明治期におけるロマンティック・ラブの咀嚼」という視点で横断的に論じるというのは、かなり面白いと思ったし、女性の側(あの、フェミニズム的な切り取りではないですよ、客体として描かれていた女性の視点というだけです)からの感想は、当時の前近代性もあいまって、とても面白い。
端的に言って、すごい読みやすい。
日本の読者の知識レベルはよくわかっていらっしゃって、作品の紹介、バックグラウンドの掘り下げなども非常に丁寧。
で、紹介の塩梅が実にちょうどよいと思った。

田山花袋『蒲団』。
本当に残酷だったのは、おじさんのキモさを生々しく描写したところではなく、作中に出てきた「芳子」は文学を志す女性だったのに、その作品や文学者としての才能については触れなかったこと。「若い女性」のアイコンとしてしか描かなかったところ。
(彼女側から描いたこの当時の小説を彼女は書いたらしいが、花袋が「まだ早すぎる」とかなんとかいって止めて、結果として世にでることはなかったらしい)

森鴎外先生は、未練タラタラの達人。谷崎潤一郎もリアルな生活におけるエピソードが、作品に盛り込まれている。
この二人については、エピソードと作品の間の生々しさが半端ないような気がする。
エンタメに徹した、徳富蘆花『不如帰』、菊池寛真珠夫人』、尾崎紅葉金色夜叉』、遠藤周作『わたしが・棄てた・女』。

どのような順番でこれらを紹介するか、苦心されたと思う。
結果的に、するっと飽きずに読めて、なんとなくわかった気にさせられるのは、なかなかのマジックだと思いました。

参考

halfboileddoc.hatenablog.com
これ僕17年前に読んでるんだ。もう何書いてあったか忘れちゃったな…

受験も遠く、明治文学を忘れている方はこちらをどうぞ。多くの作品が、水木しげるタッチの漫画で楽しめます。

halfboileddoc.hatenablog.com
この辺りのゴシップに近いお話は、今回の本のエピソードでも触れられていたように思う。
halfboileddoc.hatenablog.com
まあ、同人誌ではないのだけれども、エンタメに振り切ったわけのわからない小説のようなものは当時もたくさんあって、
やっぱり文豪たちの作品はそれに比べると、非常にクオリティが高いよな。みたいな話。

もうちょっと色々読んでると思うけど、ここにはあげてないんだな…

北斗の拳スピンオフもの『北斗の拳拳王軍ザコたちの挽歌』『北斗の拳世紀末ドラマ撮影伝』

ま、日本も平和っちゃあ平和か。

北斗の拳。我々世代(私は1974生)の名作。
ただ、もう終わってだいぶ経つ。連載は1983〜88年。
ちなみに幽遊白書が始まったのが1990なのだから、やっぱだいぶ前だ。

ただ、舞台となった世紀末よりもはるか未来を生きている僕らが読み返してみても、十分楽しめる深みがある。
(物語的には完全に蛇足にはなっているラオウの遺児リュウ、それから記憶を失ったケンシロウ編のあたりが、個人的には好み)

2000年代には「エピソード・ゼロ」ブームにあやかって、北斗の拳の世界以前の『蒼天の拳』が作画原哲夫本人で作られたが、今回は、もうそういうのではなく、北斗の拳世界をディープに楽しむやつ。

考えてみれば、1980年当時でさえも、ちょっとアナクロ感さえあったシリアスな作風である。「愛と誠」とかの路線継承といいますか。
読者としてはストーリーテリングに感動しつつも、ツッコミを入れたい気持ちはふんだんにあった。
そんなわけで、ほとぼりが冷めた今、当時の気持ちが横溢している、ということなんすかね。



北斗の拳拳王軍ザコたちの挽歌』は異世界転生ものではないのだが、プロッティングは異世界転生に近い。
狂言回しの主人公ノブは、2020年代のZ世代的なメンタリティを持つ若者。拳王軍に半ば無理やり就職してしまう。
まあ、昭和の価値観とポストアポカリプス的な無法地帯であった「北斗の拳」の世界を、現代の価値観(メタ視点)で異文化ぶりを突っ込む。
まあ、それって異世界転生ものによくある「価値観の違いの邂逅」ってやつね。

北斗の拳世紀末ドラマ撮影伝』は「北斗の拳」が漫画ではなく「実写版ドラマ」として考案されていたら、どんなメイキングになっていたか…みたいな話。
この世界には「北斗の拳」はなく、まあマッドマックス的なドラマを日本のTVで撮影しているという設定。
いろいろ紆余曲折あって、結果的にはこの撮影現場でいろいろアドリブもかまされた結果が、今ある漫画「北斗の拳」とほぼ同じ(ただし実写版ドラマ)になっている、という、これもちょっと面白いひとひねりだ。
要するに、ドラマの設定やプロッティングとして無理があるところを、現場のトラブル解決や、キャスティングの問題で、むりやりこうしたのではないか…
みたいな、二次創作。

まあ、面白いんですけど、原哲夫タッチに寄せようとしている絵は、かなり精細で目が疲れると思った。
あと、北斗の拳スピンオフ、もうちょっとあるんやな!

これは典型的なやられキャラ、アミバとジャギが主人公。アミバ異世界転生ものらしい。聖帝サウザーの意味なしパロディ。まあ、劇中でも屈指のシリアス度を誇るサウザー。おちょくりたくなるのは、まあ、わかる。

レイの外伝、ラオウの外伝、世界は核の炎に包まれなかったDD北斗の拳

多すぎて流石に把握しきれない…

未来年表シリーズ

年頭なんで、未来予測シリーズでもあげときますか。

未来の情報を集め、組織の舵取りを決める。
これが経営者の大きな仕事であるし、私も経営者の端くれではあるわけ。*1

なので、未来予測系の本はかなり読んだ方だ。
私の領域は医療・介護、ヘルスケア部門なので、当然人口動態の話に関連深い。

日本はとっくに人口減少局面に入っている。
しかし実感はなかなか湧かない。
 具体的にはこんな感じになっていきますよ…というわかりやすい話。
それがこの未来年表。
「未来の年表」は社会がこうなっていきますよという概説本。
「未来の年表2」は、具体的に生活者視点だと、こうなっていきます、という本。
「未来の医療年表」は医療分野に限った未来予測。
 という感じだ。

  • 経済的にも窮乏する一人暮らし高齢者が増える*2
  • 火葬場が追いつかない(多死社会)→もうそうなりかけている
  • 私学の経営難、大量倒産時代→これも兆しはある。音大とか特にそう
  • 中福祉中負担は崩壊する →これは完全にそうなのだけど、まだ国はケツを割っていない。多分政権が吹き飛ぶからな。
  • 医療を病院完結型から地域完結型へ(お金とリソースの問題で)→これも思ってたより遅い
  • 住宅の供給過剰 →首都圏の不動産バブル、そろそろ崩壊かといわれて10年経つね
  • 地方は衰退に向かい、東京も高齢者で溢れかえる。親がいなくなると地方銀行はなくなる
  • 空き家が増えると、スズメバチの巣なども増え、危険度が増す(敷地の権利が曖昧だと自治体も踏み込めない)→患者さんに「便利屋」がいるが、スズメバチ問題はなかなか大変らしい。あと田舎は野生動物を制御できなくなりつつある
  • 刑務所が介護施設に→もうなってる。でももっとひどくなる。

解決策:
捨てるところは捨てる。非居住エリアを明確化、国際分業(これも捨てるところは捨てる)

別に難しいことないので、読んでみられたらよろし。
人口動態から導き出される結論だから、絶対そうなる鉄板の未来予測である。
ただ、多くの人が事実に気づき始めるころは「大変だ大変だ」の大合唱なんだろうな。
医療年表も同様だった。(ただ、医療の場合は技術の進歩の部分が、今ひとつ不確定)
総花的な未来予測は、「うん、まあそうだね」と思わされる。

* * *

ただ、未来予測に基づいて経営するって、案外難しいのよ。

人口減に対するグランドデザインについては耳タコレベルで繰り返されていて、それこそ、2010年代前半は「医療介護同時改定の2018年が一つの節目!」って言われていた。大規模投資はそこまでにしておいて、あとは撤退戦だぜ、と言われていた。
なので将来シュリンクしていくと思われる慢性療養型に弊社は早々に見切りをつけ、亜急性期〜地域包括ケアシステム密着に注力することに決めた。それはうまくいっている。

ところが、案外、国の政策変更は緩やか。
2022年に至っても、地域完結型医療の志向は完成形が見えない。
療養型病床についても、干上がってもいない。

不動産空き家問題も2010年代から言われていたので、個人的には不動産投資に及び腰だった。
けど、バブル崩壊にもならず未だ都心のマンションは収益を出せている*3わけで、なんか見逃し三振の気分。
かといって時期を逸した現在手を出せば、どうせ最後には起こる暴落で損こいてしまうかもしれない。
ううむ。
「肉は腐りかけがうまい」的な、ぎりぎりのチキンレースの部分は、案外美味しいんだよな、と思う。
「リスクをとる」というのはそういうことだ。

参考:

halfboileddoc.hatenablog.com
私学崩壊の先端にあるのが、音大、ということになるんだろうな。
halfboileddoc.hatenablog.com
これはドマンなかの未来予測本。このエントリーの巻末にも未来予測本のリファレンス上げている。
自分で自分のインデックス作っていると、こういう時便利かも。

*1:医療は制度ビジネスなのでそのルール作りの情報に注目しておくインセンティブは他の業種よりも大きい。しかしそれだけではなく、「ありうるべき未来」を想像し、それに現実を近づけていく、ということも大事らしい。ビジョナリーカンパニーっていうのはそういうことなんやね

*2:団塊ジュニアである我々が、まあそうなる。多分結構悲惨なことになる

*3:そろそろやばそうだ