半熟三昧(本とか音楽とか)

半熟ドクター(とはいえ気がつくと医師20年選手だけど)の読んだ本とか音楽とか

『婚活戦略』

値段の割にはさらっと読める。しかしやや涙ぐむ。


Web記事になっていたので興味があったけれども、出版された直後はKindle化されていなかったのでスルーしていたが、
Kindle化されたので読んでみた。

社会学的な考察および自らの体験記(手法としてはオートエスノグラフィ、という)を語る。

婚活は、さながら就職活動のように配偶者を探索してゆく活動として定義されている。
かつては伝統的な地縁社会とそれに伴う「お見合い」文化で適齢期の男女が結婚に漕ぎ着けていた時代があった。
そうではなくなってしまった時に、適齢期の男女が大量に未婚で残る状況に対する解決策として婚活が生み出された。らしい。

44歳の大学准教授の筆者は、婚活を行うと同時に、この社会的な現象を理解しようとする。
結果的には婚活はうまくいかないし、婚活の「本音と建前」に気づいてしまう。

それが「理解」ってことか。
辛すぎる結論……

要するに、男性と女性の間には著しい非対称が存在しており、婚活では男性は「選ばれる性」になっている。
女性が自らの情報はあまり開示せず、有利な条件の男性に群がる、という状況が現在の婚活の状況である、ということらしい。
おそらく、これは婚活市場以外の社会が、いくぶん弱まったとはいえ男尊女卑(男性優位社会)であることの写し鏡でもあるのかとは思う。

ただ、結局その建前で、女性も社会的に高い地位の男性と結婚できるチャンスはあるとはいえ、現実の確率としては高いとはいえず、結局のところ、婚活市場に払う場代の挙句、成功裏に終わる保証がない、という意味で、女性側にも厳しさはある。


いろいろ市場調査もさせてもらっているから、表だった批判は筆者はしていないが「こんなの間違ってる。全然ハッピーじゃない」と思っていて、

本書が提示する婚活戦略の先にあるのは、収入や職業、容姿などの条件を満たした上で恋愛感情を抱ける相手以外とは、結婚する必要性はないと男女共に判断する、ロマンティック・マリッジ・イデオロギーの終末としての非婚化であると筆者は考えている。

と難しそうな言い方でオブラートにくるんで結論づけている。

婚活という産業はおそらくだが「ひょっとしたら結婚できるかも」という淡い期待(男も女も)に付け入るビジネスやね、これは。現在の人口構成の歪みに対する補正なわけだからサステイナビリティも要求されない。

* * *

読んだ感想としては、オートエスノグラフィならではの生々しい気づきがあるなあと思うと同時に、
私好きな映画『八甲田山死の彷徨』ででてくるセリフ
「雪とはなんなのだ。冬山とはなんなのだ」
に、そんな悠長なこと言ってるんだから凍死しちゃうんだぜ、さっさと逃げないと。と思ったのと似た感慨を抱いた。

結婚に対するアフォリズムは沢山あるけれども、古来から結婚は合理的な選択の果てにあるものではない。なので明晰に婚活市場を理解しようとすることがそもそも間違いなんじゃないのかしら…そりゃ傷つくよな……とは思った。

個人的にはすごく筆者に好感を抱いたんですけれども、まあ僕既婚男子だし…お役にはたてない。

参考

halfboileddoc.hatenablog.com
ちょっと前に似たような本も読んでいましたね。

『性のタブーのない日本』橋本治

上古の話を振り返り、日本の性のタブーとは何かということを、語る本。
橋本治氏の本。

ついこの前亡くなられてしまった、橋本治*1
デビュー時は『桃尻娘』シリーズという80年代らしい軽い小説の印象しかなかった。文体から「軽い作家」「80年代的文化人」だと勝手に思っていたが、現代語訳化した枕草子から、気がつくと『窯変源氏物語』『双調平家物語』とかの重厚な作品(厳密にいえば現代語訳)など非常に多彩な作風の文筆家となっていた。
それだけじゃなくて、もともとはイラストレーターだったり、編み物作家だったりもするんだって。
まあ、多才な人だ。

もとをたどれば、橋本治氏、東大の文学部卒なんで、古代文学に造詣が深いのも当然といえば当然。
80年代のふざけた作風は、単に「インテリが賢ぶらずにアホっぽく振る舞う時代」に適応していただけ、ということなんだろう。
思春期にその形で刷り込まれると一生そういうイメージを残すよな…と思う。

この本はそんな橋本治が、おそらくあまり肩肘はらずに、テーマにそって自分の知識を寄せ集めてささっと書いた感じの本。
一流のジャズピアニストが「いつものレパートリーをリラックスして弾いてみました、あ、7月なので7月にちなんだ曲をいくつかピックアップしましたよ」みたいな感じ。要するにインサイドワークはほとんどしていない様子。
それゆえの軽やかさもあるし、それゆえの軽さもある。

古代の日本には「Fuck」に該当する言葉はなかった。会う、見る、という言葉で置き換えられる。
平安時代には、女性に貞操観念はなかったし、強姦罪もなかった。と、そういう話である。
 会うことはなんとなくやることを内包していた。
よく遊女が「歌謡演芸をして夜は売春をしていた」みたいな書き方をされるが、そこにはほとんど境界というものはなかったらしい。
「なんとなくやっちゃう」という世の中だった……そうな。
ほんまかいな。
昔には性のタブーはない(しいていうと「モラル」に相当するような程度)という結論。
武士の時代になると女性が「財産化」するので、この時から貞淑さが要求されるようになったらしい。

そのほか、藤原道長の息子頼通(院政が始めるきっかけを作った張本人)のパーソナリティに対する掘り下げ、江戸時代になって、平安時代の恋愛の作法が遊郭にて再び取り上げられる話など、「ふーん」とうなる話が多かった。

 しかし橋本治という方はとても賢い方なんだけれど、いわゆるアカデミアにあるような「堅牢な証明」というものをしない(この辺りは、岸田秀梅原猛もそう)思ったことを書き散らして、それで終わりという感じがある。
学術論文のレベルでの実証や論理構成はせずに、ぱぱっと一般向けに本を書いて、終わり。
 この本も、ちょっとそういう感じがする。

 多分、そういう作業が苦手だったんだろうし、要請に従って大量の作品を書く方が性に合っていたんだろうが、本人も物故してしまわれた現在、その軽さって、時の侵食に耐えないのである。だから後世に残りうる作品は本人の全体の文筆活動の割に多くはないのは残念である。
 でもとにかく古代の作品を大量に読んでいる人だし、勘のいい人だから、真相に極めて近い感じはする。
そういうちょいちょいしたヒントが、こういう軽く書いた本のあちこちにキラリキラリと光っている。
後代の誰かがしっかりとした検証をすれば、いいのかもしれない。

 僕だって、こんな便所紙のようなブログを書かずに、きちんと学術論文を書いていれば、医学になんらかの小さな貢献を残せたのかもしれない。橋本治のこと、どうこういう資格なんてないな。

 こんなことを書いていると、亡くなった橋本治という「あがめたてまつる存在ではないけど、紛れもなく知の巨人」について読み直してみたくなった。

halfboileddoc.hatenablog.com
以前に読んだ本の感想でも、やっぱり橋本治氏ののてのてした文体に思うところあったみたい。

*1:つい最近だと思ったが2019年だった

『平家物語』

そういえば、年度末なんですね。へぇっ!

考えてみれば、本家の『平家物語』が滅びの物語であり、初めて平家物語現代語訳版を読んだ時の生々しい無常観がよみがえった。

家事や子供の教育に悩みつつも頑張っている我が妻は「今年は大河ドラマを観ようと思うの」といって「鎌倉殿の十三人」を観ている。
彼女は昔は大河ドラマが好きだったらしいのだが、ここ数年は遠ざかっていた。考えてみれば子供が小さいころ、合戦とかのシーンは「怖い」って観たがらなかったから、彼女なりに封印していたっけ。

そんな中、僕はアマゾンプライムでこちらのアニメに出会ったので、妻は源氏、僕は平家を観ることになった。

高野文子キャラクター、デザイン。古川日出男原作。色々随所随所に光るところのあるアニメだった。
往年のサブカル好きにぶっささるキャスティング。

そして、なにより、主題歌もよかった。

www.youtube.com

なんか、青春時代にジャズに淫していた自分が、横目でバンド文化を観ていた時に、Ego-WrappinとかOrange PekoeとかCymbalsとか好きだった自分には、どストライクである。

松本大洋的なアート感あふれるカット割、言い過ぎず、余白を残すダイアローグ。
しかし、なにより気付かされるのは、原作である『平家物語』のコンテンツの強さである。
原作の時点で、栄耀栄華の頂点を極めた一族が、転落し、滅亡してゆくさまが克明に描かれる。
 あらためて、この滅びの悲劇作品が、我が国の古典になっていることは、すごいことやなあ、と思う。

どんなに自分が栄光の絶頂にいても、『平家物語』は、そこに暗い影を一筋指すことができる。
それは、どんなときでも勝ちに奢らないという何よりの教訓である。

私も、今大過なく生きているけど、やはり常に「諸行無常」を思い、人に優しく生きなければいかんなあ、と思った。

非の打ちどころのない美人、建礼門院徳子の、前髪が常にぱらけている描写は、記号であるアニメキャラではないリアルさがうまいなあと思うし、
主人公である琵琶のどことなくAikoっぽい風貌も、ミステリアスでどきっとさせられる(Aikoファン)。

『超リテラシー大全』

地球の歩き方』ならぬ『日本の歩き方』みたいな本か。

いろんな分野のちょいとしたTIPSを集めた本。

halfboileddoc.hatenablog.com
例えば、この前のこの本は、現在の教科書的な医療に対するオルタナティブであるという点で、一片の危険な魅力があった。

この本でも医療の基本的なリテラシーを述べられていたが、まあ基本的な当たり前のことが慎重に述べられている。
その意味では、面白い話はない。
でも大事。

まあ、私も47歳。高齢者の方々から見ればまだまだひよっこだが、若い人からみれば古狸の類いになりつつある。
ここに書いてあることは「まあそうだよね」と頷けることばかりではあったが、あまり詳しくない分野の当たり前を再確認できる意味では、意義があるのではないかと思った。

『イルカも泳ぐわい』

最近はあまりお笑いをおいかけなくなっているので、Aマッソのことはあまり知らなかった。
news.yahoo.co.jp

この記事が存外に面白かったので、YoutubeでAマッソのコントを何本かみたり、著書を買って読んでみた。

なるほど。
面白い。
「女性芸人」という限定されたお笑いの枠ではなく、ストロングスタイルで割と攻めたお笑いなんやなあと思った。
いわゆる既存のフレームワークそのものに対する挑戦的なコントなどもしていたり、なかなか一筋縄ではいかない。

「女性芸人」というカテゴリーは、なかなか難しい。
「女性棋士」というのと同じで、ジェンダーによって保護されている反面、ある種差別ともいえる。

お笑い芸人は「笑顔になってもらう」というアウトカムを目標とするわけだが、それに対して、女性芸人はどちらかというと無邪気さ、天然さ、という「笑われる」というアプローチをとりがち。
しかしAマッソは、社会批評も含め、かなり明確に「笑わせる」というスタイルであると思われる。
昔はこういう姿勢を貫けば「女のくせに生意気な」とか言われたのかもしれない。
いやまあ今でも言うやつはいるだろう。

女性芸人、そして女性芸人の定型にハマらないスタイルというのは、多分いろいろ注意が必要なのだと思うが、Aマッソはそれについて、一貫してスタンスのとり方を試行錯誤してるんだろうなと思われた。

ステレオタイプの場合は、あまり考える必要はない。
が、「お笑いとはなんなのか」。その本質は学問的にも提供側の芸人もよくわかっていないので、現象論としてのお笑いというのは、本来わけわからない哲学のようなものなのである。
「笑いの神が降りてきた」という言葉があるけれども、そのよくわからない現象を各人なりに要素分解して再現したものが、
ヒットメーカーになるのだとは思う。
定式がはっきりしないけれどもそこには一定の論理性や方法論がうかがえる。
その意味ではジャズのアドリブソロなどに近いような気がする。

* * *

ただ、これは個人的な私の事情だが、声の高さと声質的に、やや苦手かもなあと感じた。
なので、本だと、そういう苦手な部分が減殺される。

そういう色々考えている忙しい人が、色々考えているとりとめのないことをエッセイにしたためている。
答えの無い問いに対して、いろいろ眺めすがめつ、考えているさまが面白い。

例えばジャズプレイヤーにとってはステージ上の演奏が「本番」なのだが、家で一人で練習している時、あれこれ試したりする。
それの芸人版のように、面白いことも面白くないことも文章にして整理している。
話をする人だけあって、文章はとてもわかりやすい。

私も好きな岸本佐知子さんが文中に登場する。
エッセイの文体は少し似ているような気はする。
読んで、なんといいますか、キツネにつままれたような不思議な読み味だった。
聡明さとよくわからない非言語的な領域を、きちんと自覚して自分の考えを言葉にされている。
ある種の未完成さに非常に惹きつけられた。

ちなみに、巻末にコント台本をノベライズした(?)「帰路酒」という小説が掲載されていたが、これが、中島らもっぽい読み味だった。
小説としての構成があえて未完成っぽい感じも含めて。
お笑いでいったら 松本人志の「寸止め海峡」的な…とでも言えばいいのか。

* * *

Aマッソ加納さん、大学のサークルとかによくいるちょっとやさしくてちょっと意地悪な面倒見のいい女の先輩、って感じがすごいある。

『本当に正しい医療が終活を変える』

不思議な読み味。
オススメできるのかどうか……

タイトルは別に変ではない。
医療について非医療者の人にもわかりやすいことを紹介している本。(という形式)

三人の共著。
・吉野敏明 医療問題アナリスト・歯科医師
・田中肇 経営コンサルタント
・大和泰子 終活アドバイザー

実際としては吉野氏がすべてを取りまとめていて、吉野氏のディレクションによる本。
田中氏はいわゆるマクロ経済における医療のあり方などの話であり、これはこれでなかなか堅牢な話であった。
大和氏は、いわゆる「終活」に特化した話で、この話も面白い。

問題は吉野氏である。
書いてあることの8割はうなづける内容。総論としても決して反対すべき内容ではない。

既存の保険医療の限界を指摘する。
それはまあわかる。
健康のためには口腔ケアは大事。これもめちゃめちゃわかる。

しかし……

当院では「包括治療」(東洋医学と西洋医学そして口中医の医療を現在のサイエンスで行う医療)に取り組んでいます。

と言われると、ちょっと「ん?」となる。

東洋医学を行うと、発症前診断はタダ同然で行えます。というより東洋医学がそもそも発症前診断を行う医学なのです。』

と書いてあると「んんん??」となる。
終活の実例で、

『Xさんは私のクリニックでガン末期の状態に対して免疫療法の治療を受けました』

とあると「んんんんん?」となる。

8割方うなづける内容なのに、5%くらいに、ヘルスケア業界にいるものとして絶対に首肯できないところが散在している。
トランスパーソナル心理学にも言及されているけど、これもうーん。
んーー。

多分この人は割と頭がよく勘もいいので、正統な科学とそうでないものもこだわらずにうまくピックアップして、ご本人なりの学問の曼荼羅を作り上げている……んでしょうね。

ヘルスケア業界の同業者を説得し、スタンダードにするよりも、顧客に訴求する道を選んだのだろうな、と思わせる。

船井幸雄ほどの聡明な人間であっても、晩年はスピリチュアルに傾倒した。自然科学としての厳密性はn=1の個人的な経験の解釈としては必然ではない、ということは我々は知っておきたい。

その意味でこの本。
んー。
オススメであるともオススメでないとも言える。
トンデモと片づけるには、いい部分のパートが良すぎるのよな。

クリティカル・シンキング」の観点からオススメであると言えるのかも(反語的表現)。

以下、備忘録。
・SMI:人生の6分野
同族経営の問題点(10) 会社は自分のものではなく従業員のものであるという倫理面がない=(この辺は耳が痛かった)
共有地の悲劇
・80代90代『自己超越欲求』 

『海獣学者、クジラを解剖する』田島木綿子

古い言い方だが、リケジョがんばれ。
獣医学部の病理から海洋生物に進んだ女性の、一般向け仕事紹介本。

田島木綿子さんは私より少し年上の、この分野での有名人。

水棲哺乳類(イルカ・クジラ・シャチ・アザラシなども)の専門家なのであるが、仕事の時間の多くは、ストランディング(水棲哺乳類が陸に打ち上げられること。生死を問わず)。

はい、この「ストランディング」という言葉を知ることができれば、この本の目的は半ば達成。
生きているストランディングの場合は、生きているうちになんとか海に帰す努力をしなきゃいけないが、これは結構難しいらしい。打ち上げられた大型水棲哺乳類は自重に内臓が耐えられず、肺が潰れたりするので、海に帰しても深刻なダメージを負っていることが多いから。
デス・ストランディング(死んで打ち上げられた)場合は、腐敗が進行する前に現着して調査、解剖、標本の採取などを行うわけだが、なんせモノがめっちゃでかいので、大仕事らしい。

解剖臭・腐敗臭との戦い、大型解剖道具の大変さ(なんならパワーショベルとかでテンションをかけながら皮膚を切る、とかダイナミックな話満載だ)そういう水棲哺乳類研究者の大変ながらもワクワクな毎日、という描写の合間に、きちんと研究者が一般の人にわかりやすく説明も挿入されていて、頭のいい話と悪い話のブレンドがとてもうまい(というか、そこに差がなく平文で語られているのがとても読みやすい)。

耐圧のため、内臓が丸っこく進化している話、水棲哺乳類の研究者には女性が多いけど、これは生物界では大きなオスがモテるという種が多いから?というホントかウソかわからない仮説、52Hzのクジラの話。イルカ達の塩分調節機構は謎な話。アシカは臭い、という話など、マイクロプラスチックとPOPsの話など、「ふうーん」という思われる話が多かった。

すごく魅力的な、別世界の話。ふうーん。
しかし大変そうだよなあ。
 好きじゃなかったらできない仕事だと思う。

そういえばうちの妻は臨床検査技師の短大を卒業後理学部生物学科に編入した人なのであるが、やはり海洋生物にはちょいと興味はあったみたいだが、海洋系は結構競争率が高くて大変だったのであきらめたと聞いたことがある。