半熟三昧(本とか音楽とか)

半熟ドクター(とはいえ気がつくと医師20年選手だけど)の読んだ本とか音楽とか

昔の写真『AIとカラー化した写真でよみがえる戦前・戦争』『続・秘蔵カラー写真で味わう60年前の東京・日本』

百聞は一見にしかず度 100点

ニューラルネットワークによる彩色と家族への聞き取りで再構成したカラー写真。

最近こういう手法で昔の白黒写真とか白黒映像のリファインが行われている。昔のジャズの演奏映像もちょっとリファインされたりしたものを当たり前に目にするようになった。

昔の技術で録音されたのを、今の水準のクオリティにしてみると日常感が今っぽくなる。
ま、理屈は当たり前だけど、実際に眼前に見ると「おおぉ……」と低くどよめいてしまうよね。
実際に感じるその生々しさは、想像の3割増しくらいだ。

こちらは、戦前・戦争時・戦後の写真を、デジタル・リマスタリングおよび彩色したもの。
これはしかし、当時を知っている人に訊いて色を詳しく思い出してもらう作業がどうしても必要なようだ。逆にそれで認知症の人が昔のことを思い出したり、という奇跡も起こったようだ。
リマスタリングは、どうしてものっぺりした感じになってしまうのは仕方がないけど。

白黒写真だと「史実」って感じがするけど、
カラー化して、抜けるような青空の中擱座した戦艦の写真を見ると、我々の固着化された戦争のイメージとはちょっと違う印象になる。

太平洋戦争。
グアムやサイパン・ハワイといった、僕らがバカンスに行くようなところで、能天気な青空と美しい自然の中、凄絶な絶滅戦争をやっていたわけだ。
なかなかきついもんがある。
軍国時代の日本だって、各々は、今の日本人と表情も雰囲気も大して変わりはしない。
そういう「地続き感」は大事だなと思った。
どうしてもあの時代は「異常」であると僕らは思いたがる。今の僕らだって、気がつくと、こういう体制になりうるんだ、ということ。

こちらはちょっと違っていて、戦後昭和30-40年代に日本の各地を旅行した外国人が、当時は高級品だったカラー写真を撮りまくっていた、懐かしの日本の風景。
ニューラルネットワークではなく、その当時の本当のカラー写真。
まあ、多少色あせていたり色調整のクセか、やややさしめの陽光という雰囲気。
本当に懐かしい各地の風景が伺える。
出張に付随してという感じなので、駅の周りが中心だったりするが、古い駅舎を知っていると、非常に懐かしく思うような写真も何枚かあった。ただただ懐かしさだけがある。

私は47歳。
若者というには年をとりすぎてしまい、かといって昔を振り返るほどの年でもない。
とはいえ「今」しか考えなくていい若者よりは「今」の前に蓄積された過去の重みが少し気になる年になった。
こういう昔の写真を見て、以前よりは心を揺り動かされるようになってしまったも、そのせいかもしれない。

自分は地層の一番上で今輝く存在ではなく、体積するチリの中に埋もれてゆく存在なんだ、という諦念。これが今僕が感じているミッドライフクライシスの正体なのかも。

『グリーンブック』

ちょっと前に アマゾンプライムで見た。

イタリア系のレイシストの主人公が、インテリの黒人(ピアニストでカーネギーホールに住んでいて、教授と言われている)のクラシックピアニストの南部へのツアーに同行する話。
もうこの前フリだけで、いろんな軋轢・トラブルが予想される。
当然そうなる。
南北の構造的な問題もあるし、公民権運動・差別問題も濃厚にある。
それぞれのパーソナリティに起因するトラブルも、そりゃ旅ですから起こる。

ものすごく繊細で傷つきやすいピアニスト。粗野だが気のいい運転手。
立場や人種を超えた友情。
クソみたいな世界で、自分の居場所を築く。
寓話としてはよくできた話ではある。
ただまあ、現実は、このストーリーほどわかりやすい話ではないようだ。

単純に気のいいおっさんとして描かれる白人の運転手のあり方は「白人の救世主 white savior」の定型ではないのか、という批判。
ドン・シャーリーの描かれ方が、その遺族からみると容認し難く、改変されているという批判。
要するに「孤独でかわいそうなインテリ黒人」に白人が友情を差し伸べた、みたいな図式。

すくなくともこの映画は実話をもとにだいぶ受け止めやすい形に咀嚼しているのは間違いない。
マーケットに受けいれられるためには「白人の救世主」的な存在がないと、大多数である白人に訴求もしないだろうし。

Black Lives Matterが吹き荒れる2010年代後半に、いささかナイーブすぎる題材だよな。
BLMの人たちに喧嘩をうっているととられかねない。
それとも「人種の差を超えて、友情は生まれるんだ」というナイーブすぎる普遍的真理で許されるもの?

* * *

個人的には、モノホンのドン・シャーリーの作品が、どうにも好きになれなかった。
完璧にクラシック畑で育った人のピアノ。それでジャズというか、アメリカンフォークを演奏する。
出自は黒人かもしれないがアフロ・アメリカンのグルーブ感は徹底的にクレンジングされている。
youtu.be
きれいなんだけど、粘りとか、ビートの揺れ方とか、そういうのがね。

いくら医者ドラマとかでストーリがーよくても、ディテールでどうしても受け入れられない、なんてことは大人の世界にはよくある。

今我々はジャズというのをアーカイブからの掘り起こしというStaticなものだととらえているけれど、
こういう激動の時代に生み出された血と汗の活動記録であることを忘れがちやなあ、とは思った。

『東大式節約勉強法』

今我が子は中学生だったりして、勉強の仕方とかあり方を考えるわけです。

ちなみに自分のことを言えば、
小学校は地元の公立小学校(そもそもそのころ私立の小学校なんて碌になかった)、子供の頃から濫読家で勉強はよくできた。中学受験では神戸にある某難関進学校に合格。
中高は下宿して通った。一人暮らしでペースを見失い中学はほぼ落ちこぼれ。
しかし中3から高1くらいで和田秀樹「受験は要領」を読んで、自分のペースで戦略を立てて、独習をベースに(予備校いかず)神戸大学医学部に現役入学。

別に輝かしくもなんともなく、なんとか医者になりましたが、経歴は特殊すぎるので、子どもたちにアドバイスなんかできんのである。
かといって父親が勉強に無関心すぎるのもいかんとは思うので、自分の受験リテラシーをアップデートしなきゃいかん。

「受験は要領」から時が止まっていたので買ってみた。

・受験勉強はゲーム
・各人でスタート地点が異なる
・合理化と効率化。 本を使って勉強するのが一番効率がいい。
・悩みから逆算し、自分の思考を具体的にするプロセス(自分の思考というのは主観的には非常にクリアに思えるのですが、その拾大変不安定かつモヤモヤとしたものであって、実態が伴っていない。言語化が必要
・要求の言語化こそが、勉強などの仕事をすすめていくにあたって一番重要なこと
・参考書はいわば「恋人」なので重い付き合いを必要とされる。
・失敗しない参考書選びは「売れている本」
・スピーキングの自習に最適な基本無料のアプリ「TANDEM」
・時間を節約するということは、「無駄な時間をゼロに近づけていく」という作業
・「思考」という作業は「情報整理」にほかならない。
・安心感を得るための確認作業は「無駄な復習」の時間で危険
・文章を「理解できる人」=「自分の言葉で言い換えられる人」

うんうん、なるほどね。
各論的な話よりは総説、といった感じか。

受験生は、社会人以上に時間が限られている。それゆえに、効率とか時間を有効に使う優先度はめちゃめちゃ高い*1
時間の使い方についてのTipsは一聴に値すると思った。ここは子供に読ませたいと思った。

しかしこの本いいよ、って押し付けるのって難しいなー、と思った。

結局、受験に際して、ある程度親や予備校がマネジメントして合格への道を作ることはある程度可能だとは思う。
けれど、実は、今の現状を自分で把握し、合格までの道筋や必要な勉強量を推定し、必要なカリキュラムを見つけ出すことができれば、仮に大学に合格してもしなくても、その後の人生に役立つマネジメントスキルになるのではないかと思う。

大事なのは、「釣り針と釣竿」を与えるのではなく魚の釣り方を教えてもらうこと。

多分まあまあいい大学っていうのは、こうしたセルフマネジメント能力の証左に過ぎない。
に合格する人は、マネジメントスキルもそこそこ培われているはず。

*1:しかし人生で残された時間ははるかに多いという点では社会人より時間は多い、とも言える

『人は悪魔に熱狂する』

行動経済学を露悪的な視点で解説したもの。

うん、まあ行動経済学って、行動経済学は合理的な意思決定の限界を踏まえたふえで、人々の非合理な選択を解明する学問。
だけど、Nudgeとかいう用語。これは「さりげなく押す」ようなちょっとしたことで人々の行動を望ましい方向に向ける、みたいなもの。なんかレジの並びに2m間隔を保つために貼ったシールとかが、行動経済学の例として取り上げられていると、それは卑近すぎないか?とは思う。

あと、行動経済学と心理学の垣根が今ひとつ見定めがたい。

例えば、心理学に通暁した人が、相手の心理をコントロールして、こちらの思い通りにコントロールする、みたいなことって、利他的であれば容認されうるけど、利己的な目的であれば、まあ色々問題があったりするわけで。まあこういうのってナンパメソッドとかにめっちゃありますよね。

この本ではそのあたりは意図的にぼやかして、相手をコントロールするためのTips、みたいなものを章立てで紹介している。
まあ、そういう意味では「人間通」とか、そっち系に通じる本なのかもしれない。

権力に翻弄されないための48の法則

あのテンションのまま完結した『フルーツ宅配便』

フルーツ宅配便が、気がついたら完結していた。

あ、ドラマとかにもなってんだね。

以前にホリエモンも取り上げていたことがある。
ホリエモンこと堀江貴文さんは、池田邦彦『カレチ』も以前取り上げていたこともあるし、漫画とか物語については、結構人情派だったりする*1

フルーツ宅配便は、郊外型のデリヘルを舞台にした作品。
そういう意味では「貧困女子」とかに近い社会背景の作品なんだけど、14巻までずーっとみていて、オーラルセックスや性交に至る前段階を含んだエロシーンの直接描写が一切ない。なんなら裸もほとんどない。

あくまでそういう風俗行為の前後の心情の揺れに特化したストーリーテリング
ドラマチックな感じでもなく、まるでサイレント映画のように静的な描画が淡々と続く。
なんなら、その淡々とした感じで最終回まで進んでしまった。

まあ、その起伏のなさこそが、舞台としている「スプロール」(郊外の無秩序に広がるのんべんだらりとした市街)の風景と奇妙に類似点があるように思う。

* * *


私は男なので、デリヘルを利用する男性の女性に思慕する心情はよくわかるし、中年男性の孤独にも大いに共感する。
一方、風俗産業にてカネを稼がざるを得ない女性の心理や社会背景、男性の言動に翻弄されたり二重生活との葛藤などの、女性の側から語られる物語も、それはそれで共感もするし、涙する。

現代のコミュニケーションや男女関係というものを考える上で、こうしたデリヘル文化みたいなものは後世から振り返るといろんな意味を付与されるのだろうと思うが、我々の時代的なアイコンがこれなのか?とか思うと、そりゃあ僕らも砂を噛むような人生だよな、とは思った。

スガシカオの「コノユビトマレ」の歌詞に、

知らない人ばかりで
街ができてるとしたら
この世界は
とてつもなくでかい
孤独のカタマリだ

というのがあったけど、そんな感じな気持ちになってしまう。

しかし、お涙頂戴、人情物という感じでもなく、まるで我々が蟻の巣を俯瞰しているかのように、極めて第三者的に淡々と物語は描写されるのが、この本の独特な読み味であると言えるだろう。

参考

halfboileddoc.hatenablog.com
halfboileddoc.hatenablog.com

郊外の退屈な人生の地獄感はこの本に尽きると思う。で、こういう郊外のディストピア感を社会学で描いたのは、すでに一世代前の話ではあるけれど、宮台真司に代表されるような話だとは思う。ただし、その当時は援助交際という形であった交際形態が、ビジネスに収斂していったのがデリヘルなんだろうな。

*1:もちろん闇金ウシジマくんとか、人情派じゃない作品もとりあげてはいるけれど、悪く思われること気にしないだけで、基本あの人はいい人なんやろなあ…と感じることが多いね

『図解 統計学超入門』を読んで、高橋洋一参与の辞任理由がわかったような気がした。

このまえピケティ本も高橋洋一著であったが、これも高橋洋一氏による統計学の初歩的な入門書。
halfboileddoc.hatenablog.com


これ、普通にわかりやすい。
統計苦手な人にも噛み砕いて理解してもらおうという歩み寄りも見える。
まずまずいい本じゃないかと思った。
(私は統計のエキスパートではないが、まあ論文を書いたり論文を解釈できる程度には理解しているつもり)。

このように高橋洋一氏が統計が苦手な人に対して啓蒙的な態度で解説してくれるのは、氏の問題意識ゆえだとは思う。
実際この方は、専門の政治・経済学では一貫してわかりやすいメッセージは伝わりやすく、主張も明快である。

Web記事なんかをみていると、4000字くらいあれば、高橋氏はきちんとした論旨で正しいことを明確な論旨で書くことができる。異論反論はともかく大多数を納得させられる記事を書くことができる。

みんなが世界を正しく理解すれば、より世界はよい方向に向かう。
そのためには、みんなに正しい知識を持ってもらいたいし、その上で自分で考えてもらったらいいんじゃないかな。
と高橋氏は思っているのかなあ。
知的に誠実な態度だとは思うのだ。

ただ、だからこそというか、今回の「コロナはさざなみ」という失言に足元を掬われたのかなあと思った。

* * *

結局のところ、大衆の「メディア・リテラシー」は高橋氏の想定以下である、ということに尽きる。

4000字程度の記事を読んできちんと読解できる人は、思った以上に少ない。
最近ホリエモンYoutubeチャンネルで言っていたけれど「本を読まない人間ってこんなにいるんだ」と。ホリエモンYoutubeでの言動は著書よりも随分内容が薄いけど、本は数万部、Youtubeはそれより二桁多いから。
また、Webで活動しているとクソリプって当然あるものだけど、例えば僕のこの弱小Blogはクソリプはほとんどないけれど、それは多分一トピックの文章量が多すぎるからだと思う。

多分、中学の教科書を読んで理解できるレベルって50%くらい。
新しいことを始めるに際して、きちんと参考書を選定して、スモールステップで独習できる人って、多く見積もっても25%くらいだ。

マスコミ、そしてマスコミの受け取り手である大衆のリテラシーは、残念ながら高橋氏の思惑を超えているんでしょう。
それ以外の人にとっては、世界はツイッターの140文字で記述できる程度の複雑さしか許容できない。

* * *

「話せばわかる」といって撃ち殺されたのはかつての犬養毅
世の中には話そうとしない、もしくは話すことによって相手の「考え」を一度自分が受け止めることを恐れる人たちが一定数いるということを忘れてはいけない。*1

「話せばわかる」と思っているリテラシーある人たちはわきまえておく必要があると思った。

まあ高橋氏も現代日本でよかったとは思うよね。辞任するだけでいいんだから。
かつてのポルポト派や黎明期のソ連だったら(以下略)

*1:そういう人にとっては小泉さんとか安倍さんの「わかりやすさ」って大事なんじゃないかなあと思った。小泉ジュニアも、そういう点では結構需要があるんじゃないかと思う

秋の夜長はヤンキー感『鬼門街』『スモーキングサベージ』

SNSやっていたら漫画の紹介みたいなやつあるじゃないですか。それがきっかけになって読んだ漫画。
どちらも「ヤングキング」連載。
 ほら、「Badboys」が連載されていた、ヤングキングですよ。
まあそういう漫画。

私は中学から地元を離れてしまったわけですが*1、地方都市で生まれ、一生離れずに生きていくライフスタイルも当然よくあるわけである(うちの職員にはそういう人も当然多い)。
『マイルドヤンキー』というラベルがわかりやすいですけど、地元のつながりを切らずに社会人になりそのまま地元のネットワークを社会資本として生きるライフスタイル。

 そういうライフスタイルの辺縁には噂するにも一段階声をひそめるような「悪い先輩」みたいなドヤンキーの人たちが必ずいる。
 ただ、その辺縁のどヤンキーから「半グレ」や「ヤクザ」の人たちまでのアンダーグラウンドの話はリアルな世界と半分地続き・半分は知らない世界だったりする。
僕はそういう知人が全くいないので、異世界すぎてちょっとわからないんだけど、一生地元に住み続ける人には、この手の話は、おそらくほんの少しリアリティのあるファンタジーなんだと思う。だから、こういうアングラ界のクライムものが興味をもって受け止められるのだ。

ひょんなことから鬼の持つ力を使えるようになった高校生の主人公。
14巻が終わって、今は続編のKARMAが連載されているらしい(一応全部読んだ)。
まあヤクザ〜ヤンキーあたりの社会を舞台に描かれる超常能力モノ。
 まあこういう世界で、超常能力あったら、そりゃ便利ですわな。
画力はよくわからないが、ちょっとタッチが「柳沢きみお」感がある。
あと、鬼がめちゃくちゃ口が悪い。
 主人公に取り憑いている鬼がことあるごとに「アホンダラ!」という罵声を浴びせる。
 関西弁でもないのに。
「アホンダラ!」ちょっと自分の口癖にうつってしまいそうだった。
 まあこんな漫画の口癖が転移してしまう自分にアホンダラだ。

こちらは、闇の拷問集団を描いたやつ。
もうちょっとアンダーグラウンドな世界。
ザ・ファブル」と似ていて、ホントか嘘かわからないヤンキーのアーバンフォークロアといえる。
この漫画では、オタクっぽい丸っこいフォルムの双子が、実はめっちゃ怖い存在。
この漫画の「発明」はこの兄弟なのだと思った。ギャップいいよね。

まあ、こういう世界を体験するにしても、きちんとしたストーリーテリングを楽しみたいなら「マイホームヒーロー」(しか思いつかなかったが)。こういう世界の当たり前さこそが「ヤングキング」なわけで、ヤングキングを開いた時点で、ミノフスキー粒子ならぬヤンキー粒子に支配された空間に我々はいることを知っておかなきゃいけない。
 ただ、ヤングキング空間では、人々は喧嘩っ早く、「ダチ」と「味方」と「敵」しかいない荒涼とした世界。
少女漫画にあるような人間関係のヒダヒダを丁寧に描くような世界ではないことは覚悟しておかなきゃいけない。

*1:大人になって家業を継ぎに帰った