半熟三昧(本とか音楽とか)

半熟ドクター(とはいえ気がつくと医師20年選手だけど)の読んだ本とか音楽とか

『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』若林正恭

おすすめ度 90点
寂寞度 100点

「やりがいのある仕事をして、手に入れたお金で人生を楽しみましょう!」
仕事もお金もない時期に、家賃3万のアパートの部屋の中で絶えずリフレインしていたあの声。それは聞けば聞くほど
「仕事で成功しないと、お金がなくて人生が楽しめません!」という声に変換されて聞こえてきた。

オードリー若林の旅行記というかなんというか。

halfboileddoc.hatenablog.com
以前に、若林の『ナナメの夕暮れ』を読んだことがあるが、自意識過剰な自分、というものにうまく向き合ったよい本だなあと思った。
この長ったらしいタイトルの本は、その前に書いた旅行記
Kindle化されてなかったので、欲しいものリストに入れて放っていたら、この度Kindle化されたんで購入)

キューバに一人で旅行にいった時のことが、淡々とつづられている。
キューバという新自由主義・格差・競争とは無縁な、そして日本社会の同調圧力と自意識過剰から遠く離れた場所。
とても旅慣れているとは言えない、若林のぎこちない一人旅はしかし、確実に彼の中の何かを変えたのだと思う。
淡々とした文体の中に感動がほのみえた。
亡くなった父との思い出。社会主義?とは関係なく、人々が必死かつ気ままに暮らすキューバ
少しずつ、おずおずと自意識過剰な自分が変わってゆくようす。
旅行には旅行にしかできない体験がある。

すごくしんみりする本だった。
はなやかな芸能界の中で、若林、デタッチメントというか、この寂寥感は尋常ではない。
だからこそ彼の言辞が、多くの不器用な若者の心に届くんだろうな。


新自由主義
私は地方都市に住んでいるのでそこまで、こうした熾烈な競争を実感することはないが(むしろ地方都市に住んでいるだけで『負け組』だったりするんだろう)、東京での生活って、格差と分断の繰り返しなんだろうな、と思う。テレビの中という、格差の中では勝ち組に位置しながらも、マインドとしてはそう感じられない若林の戸惑いが、この本では生々しいほど描かれている。

(ナナメの夕暮れでは、そういう自意識ゆえの葛藤から少しずつ解放されているさまが描かれた)

『野蛮の言説 差別と排除の精神史』

オススメ度 90点

20世紀までの世界は、野蛮の反意語である「文明」による進歩を理念として構築されてきた。
ところが21世紀以降、文明は失墜し、野蛮と呼びうる状況がむしろ常態化している。

内戦・紛争。民族浄化、民主主義の敗北。

ただ、近代から現代に到るまで、人権が尊重される世の中に徐々になりつつある、とみなされている。
が、その道のりには、奴隷制度とか、ホロコースト、非文明国民の虐殺など、とても人権尊重とは言えない出来事が累々と横たわっている。
(人権尊重されるなら、そもそも第一次世界大戦第二次世界大戦なんか起こらなかっただろうし)

この本は、そういう「蛮行」についての本。
蛮行の多くが文明国によってなされている矛盾に、我々は向き合えているのか。


以下は備忘録:
・自分たちと同じ母語を話さない民族は、人間とはみなさない(スペイン人の南米侵略なども)
・「種」の概念が民族差別を生み出した。自然科学の発展が人種差別に理論的な肯定を生み出した経緯がある。(ダーウィンの進化論の都合良い引用)
 →現在は人種という亜種は存在しないという考えが一般的。
・21世紀の差別の復活は反知性主義かもしれないが、昔は知性による差別の歴史があったことを忘れてはいけない
・「野蛮人」とは自文化よりも劣った人間集団とみなしていることを意味する
・「無主地」の概念→先住民の土地を無主地と規定し、征服する。
・BarbarとSauvageの語源の違い
・「人間動物園」日本でも「人類館」の存在(朝鮮人も陳列されたことがある)
・ベルギー国王直属植民地コンゴ
・人種妄想による大量虐殺がヨーロッパ列強によるアフリカ分割の時代にみられる
・優生思想と弱者の排除
731部隊
ヘイトスピーチ。相模原事件の背後にある思想

他者排除の理論は、人種差別、大量虐殺などにつながる。
ただ、現在のグローバル社会が目指している、出自による差別はない能力主義に基づく社会(メリトクラシー)は、進化論的思想に立脚している。その点では「知性に劣るものを排除する」傾向を生み出しやすい。

文明が発展すれば蛮行がなくなる、というわけではない。
むしろ蛮行の多くは文明国によって、文明人によって為されてきた。
難しいな。

本は15章立て。
総括するのにちょうどいい。
各章の巻末に、もう少し詳しく知りたい人への参考文献のオススメが示されているのもいい。

* * *

昨日までの世界、と合わせて読んだらいいのかもしれない。

能力や出自によらず一人一人の人格を尊重するのは、当たり前であるが案外難しい。
自分の世代でも、家長主義だとか年功序列主義、男尊女卑的を当たり前に信奉している人はそれなりにいる。
こういう人の「偏見」を修正することは、案外難しい。

アインシュタイン『常識とは十八歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいう。』

偏見の多い人は、インプットも少ないから、偏見を見直す機会もないしな。
また、病院の顧客である高齢者は偏見が当然である時代に人格形成されたものも多い。
そういう人は我々にとって当たり前の接遇が、彼らにとっては間違った対応であることもある。

『はじめて読む人のローマ史1200年』

オススメ度 70点
教科書度 70点

入門としては適切だが、その分熱量に欠ける印象はある。
まあ、がっつりローマのことを知りたければ、ギボン『ローマ帝国衰亡史』か、塩野七生ローマ人の物語』が、今なら一番いいだろうとは思う。この本は、そういう本と教科書の間くらいの、いい感じに通観できる本。

・人類は一度、古代ローマで豊かさのピークを経験し、その後その水準に戻すまでに千数百年もの歳月を要した。
・ローマ人は「祖国」を発明した人々
クリエンテスとパトローネスの関係
・古代には三権分立はなかった
護民官の「身体不可侵特権」
ギリシャの政治循環:独裁→王政→貴族政→僭主政→民主政→衆愚政→独裁政、ローマは独裁・貴族政・民主政が、共和政という大きな枠組みの中で循環していた。

 実際、ローマの黎明期に作られた軍隊の制度、政治の制度などの、属人性を廃したシステム造りは、ちょっと古代とは思えないレベルである。めっちゃモダニズムシュメール人と同じく「チートなんじゃねえの?」と思ったりもする。

『テセウスの船』

オススメ度 100点
ドラマ見そびれた度 100点

一人でのロングドライブの時には主にYoutubeに残っている『ハライチのターン』を聴きながら移動している。
ちょっと前にハライチ澤部が、ドラマ『テセウスの船』の最終回だけ出演していた、みたいな話を得々としていた。
ドラマは見そびれてしまったので、代わりに原作コミックを読む。*1

大変面白い。
殺人事件とタイムスリップもの。そういう意味では『僕だけがいない街』にやや似ている感じはある。

(これもかなり強い印象を残しているのに、Blogには書いていなかった!)

僕だけがいない街』では主人公が、現代の視点から、事件の起こる直前の小学生の当時の自分にタイムスリップする。
意識だけが現代の自分であり、小学生としてその時代にいるので、タイムスリップというよりは『タイムループもの』とでも言った方がいいのかもしれない。
後世になって発表された事実から、誰かわからない真犯人の裏をかこうとするのがとても面白い。
なんとなくこういう、主人公は外見上変化がないのに、知識を得て動きが変わる、というのは「トルネコの大冒険」みたいな感じがあるな。

一方『テセウスの船』は、元警官の父が大量殺人犯として収監され、家族はバラバラになってしまっている主人公が、事件直前の現場近くに、タイムスリップする。
タイムスリップした主人公は未来から来た、何も身分証明を持たない若者ということになる。そこで警官の父と協力して、事件解決をしようと足掻く。
その時代にいないはずの人間は、例えば職質された時点でアウトなわけで、非常にスリリングではある。
現代と事件当時、行ったり来たりし、その都度、パラレルワールドがすこしずつ変わっていく。
このあたりは映画「バタフライ・エフェクト」みたいで面白い。

二作とも、ストーリーテリングも重厚であり、大変見応えのある漫画であった。

それにしても、『殺人犯容疑者の家族』が、日本的なムラ社会で徹底的に排斥され家庭がめちゃめちゃになる様が、さりげなく描かれていて、とてつもなく重いね。

ただ、タイトルは哲学的用語なのだが、この漫画のストーリーの芯を食ったネーミングではないかなあと、少し思った。
でもいいタイトルだとは思います。

*1:これも、澤部「面白いから絶対読んでみろって、」岩井「絶対読まねえ!」のやりとりがよかった。コンビ仲がいいっていいよね。

『東京百景』又吉直樹

オススメ度 80点
ジャケ買い度 80点

東京百景 (角川文庫)

東京百景 (角川文庫)

過去を引きずる男はみっともないらしい。僕は引きずるどころかずべ手の思い出を引っ提げて生きている。


今では芥川賞作家の又吉直樹。これは、文章を書き始めた頃のコラム、みたいな文章の断片をまとめたもの。
又吉の原点、とでもいえるものらしい。

実は僕は火花とか劇場とか又吉の小説読んでいない。
鬱屈系の芸人の書くものは面白い。のちに才能が開花し、芥川賞をとるまでに到る才能の片鱗は随所に感じられる。
面白さ、シリアスさの絶妙に混在した文章。突き放した視点。

綾部のことをあえて書かなかったのも含めて、東京の喧騒の中でやたら静かな印象をうけた。
私は東京で暮らしたことがないので、出張とかで行かないような地名にはいまひとつピンとこないのが、少し寂しい。

『収容所のプルースト』

オススメ度 50点
なんで?感 100点

収容所のプルースト (境界の文学)

収容所のプルースト (境界の文学)

何に使われるかよくわからないけれど機能美に溢れた機械の部品を見ているかのようだった。

* * *

第二次世界大戦の嚆矢となった、独ソによるポーランド併合。
ポーランド併合され、捕虜となったポーランド将校何千人かはソ連の収容所にて拘留される。
拘留された将校たちの中に、チャプスキというフランス留学もしていたインテリ将校がいた。
彼は拘留された収容所の中でマルセル・プルースト失われた時を求めて』について講義を行った。
この本は、その講義について書かれたもの。

この前倉敷に行った時に蟲文庫にて購入。

* * *

浮世離れしすぎていて、ピンとこない。

そもそも、不自由極まる収容所の中で、フランスの貴族文化の粋を描いた『失われた時を求めて』の講義、というのが、ぶっ飛んだ話。
ポーランドのインテリ層、文化の香りが高いな…
日本でいうと、インパール作戦とかで行軍中の兵士が『源氏物語』について語り合う、みたいなものか?

halfboileddoc.hatenablog.com
ただ『夜と霧』にもあるように、目先の身体的充足、衣食住だけを意識するよりも、高次の精神性を有した方が生き延びる可能性が高いのは間違いないらしい。
その意味ではプルーストの講義というのは、精神性という点では極北なのかもしれない。
それにしてもプルーストは高尚すぎないか。

* * *

独ソに侵略され、自分たちの国はすりつぶされた亡国の将校たちが、失意の中、何を思って収容所で生き抜いたのか。
その時点、その瞬間には、世界の誰にも必要とされていない集団である。
いつ虐殺されても文句も言えない。*1
失意と絶望に満ちていても不思議ではない。

しかし、その中に咲いた徒花かのようなプルースト
まるで小川洋子の小説のような話だと思った。

人質の朗読会 (中公文庫)

人質の朗読会 (中公文庫)

(この本も2015年に読んだはずだが、Blogには書かなかったようだ)

世界は意外性に満ちており、無意味性なものなどない。
名も無い草葉の裏に張り付いた害虫も、仔細に眺めてみれば、その精緻さに胸をうたれるはずだ。
世界はおぞましく、かつ美しい。

ちなみに、死ぬまでにプルーストは読みたいのだけれど、学生の時に読む機会を逃して以来、
専門職・ビジネスマンとして突っ走ってきたために、立ち止まってこういう本を読む時間がないまま今に至っている。
おそらく死病に囚われ、病床で読むか、何かの折に縛につき、獄中で読むか、くらいしか可能性がない。
どちらにしろ「どうして早く読まなかったんだろう」と後悔の涙を流すのだろう。

* * *

複雑な世界のタペストリーの中で、どこともつながっていない特異点
それが『収容所のプルースト』だと思う。

自分には『収容所のプルースト』のような存在があるだろうか?

*1:いや、祖国を蹂躙するソ連軍に編入される方が、彼らにとっては厳しいのかもしれない

『漫画人類学講義 ボルネオの森の民にはなぜ感謝も反省も所有もないのか』

オススメ度 90点
「文化がちがーう!」度 100点

ちょっと前にWebで話題になっていたので買ってみた。
ボルネオで長らくフィールドワークをやっている文化人類学者の人の漫画。作画は別の人。

漫画自体の画は独特である。線の細さ、くっきりさは、相原コージの『勝手にシロクマ』を彷彿とさせる感じ。
しかし、同人誌とみまがうような部分もあったり、なんとも評価しづらいところだ。

ともあれ、文章だけで書いてあるよりはるかに読みやすかったのは確か*1
タイトルの長さはイマドキすぎるよな。

(こんな感じ?この手の長いタイトルの時に必ず引き合いにだすけれども)

ボルネオでは、既知のヨーロッパ文明、アジアの文明ともやや隔たった価値観によって原始社会が営まれている。*2
個人の所有権というものは、確かに、個人主義が発達してこないと認識はされない。
原始社会と文明社会の差としてはあるあるな話だけど、
所有の放棄は、実際フィールドワークではすごく困るんだろうな。研究のノートとか、ペンとかも悪気なく全部とられてしまうしな。

リーダーも「ビッグマン」の奉仕の精神がないと務まらないらしく、なかなか大変そうだ。
死生観もかなり異なっているようで、難しい。
出生に関する感覚もとことん非科学的で甚だしく違っているのは、なかなか面白いところだが。
死生観に関する話では、私は以前「現在まで残るすべての文明・文化は「死後の世界」を前提として存在している」と書いた。
hanjukudoctor.hatenablog.com
ボルネオの死生観は、それに合致するのかはよくわからなかった。

*1:しかし文章だけで表現するより明らかに分厚くなっているのも確か

*2:おそらくルーツはポリネシア文化なんだろうけど…