半熟三昧(本とか音楽とか)

半熟ドクター(とはいえ気がつくと医師20年選手だけど)の読んだ本とか音楽とか

『実況!会社つぶれる!』

オススメ度 100点
納涼!度 120点

実況! 会社つぶれる! !

実況! 会社つぶれる! !

  • 作者:全宅ツイ
  • 発売日: 2019/10/12
  • メディア: 単行本

うん、まあ、めっちゃ参考になるけど、参考になりたくない。


『クソ物件オブザイヤー』をしっていますか?
大変楽しくもブラックなtwitterハッシュタグに端を発し、最終的には本にもなった。
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著者『全宅ツイ』さんが、会社が潰れる時にみられるいろんなサインを、「来年」「来月」「来週」「今日」「つぶれた」の時系列にわけて、書いたもの。

会社が潰れた時に居合わせた人にしかわからない生々しい現実が描かれていて、非常に面白い。

「来年」(つまり会社がつぶれる一年前)には、経営者が曖昧な世界に逃げ込むとか、経営の緩み、たががはずれ、規範意識の減少がおこる。要するに、潰れる下地があるわけね。
「来月」「来週」の時系列では、経営者が解像度低めなことを言い出したり、達成目標がふんわりしたものになったりする。資金繰りの悪化による取引先との摩擦が起こったりもする。
いざ潰れる段には、社員も知らされていないというのもよくある話らしいね。
潰れると、再就職も地獄、残る人も地獄。後払いが全く通用しなくなることで、社会的信用の低下をさとる、とか、なかなか切ない。

会社人としてリアルだなと思ったのは、

  • 多くの社員が非常階段でなにやら内密の話をするようになり、自分が電話する場所がなくなる
  • 体に負担をかけることなくすぐに土下座できるように営業社員全員にストレッチスーツが支給された

などというのは、体験してみないとわからないことだなあと思う。
ナマナマしすぎるでしょ。

* * *

経営者としてこういう本を読んで思うのは、やはり「おごるなかれ」である。
驕ってはいかん。調子に乗ってはいかん。
「稲盛経営」の滅私奉公までではないにしろやはり会社を自分のものだと思った瞬間腐敗は始まるのかもしれない。
会社というものはやはり「公器」であり、自分は一時的に預かっているものだ、という風に考えるようにはしているが、
自分が介入したことでうまく行ったりしたら「俺スゲエ」とか考えたりしがちなのだ。
まあ経営者というのは自分で自分を褒めないと、案外だれも褒めてくれないものだしね。

会社の潰れる様相は、そこまで僕は詳しくはないが、歴史は好きなので、愚かな皇帝の晩年(中国でもローマでも)や失政、それから、敗戦にまつわる愚かしさは文学で追体験することができる。会社の衰亡もそれにかなり近いところはある。

もうちょっとありそうだけど、昔読んだ本のなかで、書き残しているものだけ。
ギボン『ローマ帝国衰亡史』も読んだはずだけどなあ…
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自動車の走行記録からステイホームを検証する

私は現在某レ社のUXという車に乗っています。
lexus.jp
去年の10月に納車して、8ヶ月くらい。

買い換えた理由は、一にも二にも安全装備である。
私はもともと車の運転はうまくもない。
おまけに当直明けや、睡眠障害の時の運転などは、さらに危ない*1
そういうこともあって、若い頃はどこでも車で移動したりもしたが、最近車の運転は避ける傾向にあった。

安全装備がやや強化された車に買い換え、事故への恐怖感はかなり減り、あちこちにドライブするようにもなった*2。おそらく車を替えてから走行距離は倍増したように思う。

ところが、3月くらいからコロナウイルス騒動があり、4月から5月末くらいまで非常事態宣言。ステイホームだった。
勤務先の業務以外の、研究会も出張も、医師会の仕事もほぼなくなり(もしくはオンライン)学会も出張もすべて飛んだ。


給油する毎にオドメーターの走行距離を書き留めるようにしているので、これを、走行距離の記録から振り返ってみよう。

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累積走行距離の記録

納車から今までの走行距離は 270日で9100km。
月に1000kmくらい、およそ 33km/日という割合だ。これは以前の車の1.5倍くらいだ。

そして青い部分が、非常事態宣言の期間だ。外出自粛に相当している部分。
明らかに傾きは落ちている。この期間中は10km/日くらいに落ちている。

これは非常にうなづける数字。
自宅から勤務先が 5kmくらいなのだ。
5x2(往復)x 6日= 60km。それになんやかやプラスアルファで 週 70km。
だいたい実情とも合致しているのである。

普段は、研究会に行ったり、医師会の理事活動もある。
ちょっと遠隔地へも車で行ったりしていたので、その分が上乗せになっていたのだろう。

自粛期間は原油の記録的な低価格を受けて、ガソリンの価格もかなり安かった記憶があるが、やはり用もない、人にも会えない状態で車をむやみやたらに運転するほどは僕はドライブは好きではないようだ。
今では自粛が解除され、少し遠くのジャズバーに行ったりもしているので、6月の走行距離はかなり増えてしまった。

コロナは一旦はおさまったが、首都圏・大都市ではじわじわと感染はなくならないどころか増えている。
考えてみると2月以来出張にもでていないが、今年は全国的な集まりに参加するのはちょっと躊躇せざるをえない。
その分時間は空いている。
幸い中四国地方は感染そのものが少ないようなので、むしろ車で移動をして、あまり行かない街に行ってみようかとも思っている。

*1:一度連続勤務後の運転で追突もやらかした

*2:おおかたがエリア外へジャズのセッションに行ったりとかなのだが

『ミステリと言う勿れ』田村由美

オススメ度 120点
『巴がゆく!』が、ここまで到達するのか…度 100点

面白いやん!

なんかスマホ漫画アプリの宣伝で興味を持ったのでKindleで購入。
うーん。前から思ってるけど、少女漫画って、心理描写が緻密だよなあ。

やや自閉症的なKYな発言をする異形の主人公。
しかし一見ただの変なやつなのだが、他の人の話を聴くだけで、その背景の心理や矛盾点に気づき、事件の真相に辿り着いてしまう。
まあある種の安楽椅子探偵的ななんでもわかっちゃう人が主人公。

なぜか、アフロに近いような天然パーマなのである。そしていつもへの字口。

『ミステリーと言う勿れ』は、確かに推理小説としての定型は多分とっておらず、しかしストーリーの構造上、異形の主人公がなんでも謎をぐいぐいと解き明かしてしまう。まあすごい人を見せる系の作品。その下地になるのは、少女漫画の心理描写の緻密さである。

心理の掘り起こし、人間描写のようすは、単純にすごいなと感じましたが、人間そんなに繊細で複雑な人間ばかりでもなかろう、もうちょっとしょうもない人もいるだろうよ、と思ったりもした。しかし、読み応えのある漫画だと思います。

これは漫画を読んだ興奮が伝わるから、きっとドラマ化されるだろうよ。と思う。
なんとなくビジュアルイメージは、NHKで古民家カフェ巡りの番組をしていた渡部豪太ではないかと思うが、きっと適当なジャニーズに天然パーマのヅラを被せて配役するに違いない。大人の事情的には。

『ミライの授業』瀧本哲史

オススメ度 95点
元気でたー 度 100点

ミライの授業

ミライの授業

実は僕は同時代人でありながら、瀧本哲史さんをリアルタイムであまりフォローできていない。
2019年に47歳の若さで急逝されたが、この世代の旗手の一人といってもいい存在のはずだ。

やったこと、言ったことも含めて、もっと注目すべきだったとは思う(が、私もすべての有名人の言説に知悉しているわけではないんで…)
若すぎる死ではあるが、かれの足跡はいずれ精緻に振り返られることになるだろう。
それとも有為な人材はほとんどが著作を残し、また変革のスピードの早い現代においては、彼の足跡は10年も経つと凡百の中に埋もれ忘れ去られてしまうのだろうか。

これは瀧本氏が14歳にむけて書いた本。
わかりやすく、そして未来に向けて、少年少女たちを勇気づけるような内容の本。

・仕事のコモディティ化
・仕事をしなくてもいい時代になる
・未来はつくることができる
・ミライの技術は昔の人にとっては「魔法」のようなもの
・学校は未来と希望の工場
・たった一人でも世界をひっくり返すことはできる
・中学時代の成績なんてほとんど関係ない
・思い込み(「フランシス・ベーオンの「4つのイドラ」)
・問題解決ではく問題発見が大事
・エリートほど思い込みの罠にはまりやすい。コトを疑おう。
・仮説を立てて、空白の地図に旅に出よう
・ルールを作ることができれば、世の中は変わる。自分の「おもい」を形にかえることができれば、それは新しい世界のルールになるかもしれない
・目立つ人だけが主役ではない。それぞれに自分のなすべき役割がある。変革者の背後には影の主役たちがいる。
・変革者はいつも新人である

という割と元気のでる原則を、各章にすばらしい先達の例(サッチャーの夫、緒方貞子ニュートン、J.K.ローリング、伊能忠敬嘉納治五郎など多彩)をとりあげ、人が「事を為す」時に大事なことは何かを感じられるようにわかりやすく紹介している。

子供向けでもあるが、自己啓発という意味でもすばらしく、読んでいて元気がでるポジティブな本だ。
ただ、ポイントとなるところにすでに蛍光ペンのようなマーキングが施されていて、自分でマーキングをする楽しみがないのはやや残念。
その辺は、ちょっと親切すぎるのじゃないか、とも思ったが、親切って、過ぎるくらいでちょうどいいのかもしれない。
巻末には参考になる本の紹介もあったりして、この辺りもお役立ち度が高いとは思う。

ただ、冒頭、いきなり「グローバル時代だ。いまや世界は一つだ」と高らかに新世代をことほいでいるのだが、2020年の現実の世界はコロナでズタズタである。グローバルで開かれた世界に、果たしてこの先戻るのであろうか……

『ミスミソウ』『サユリ』押切蓮介

オススメ度 80点
暴力の「緊張と緩和」度 100点

サユリ 完全版 (バーズコミックス スペシャル)

サユリ 完全版 (バーズコミックス スペシャル)

  • 作者:押切 蓮介
  • 発売日: 2015/12/24
  • メディア: コミック

2009年の時点で『でろでろ』『ゆうやみ特攻隊』『ピコピコ少年』『ぼくと姉とオバケたち』『スキスキ!!アクアリウム』『プピポー!』『ミスミソウ』を8誌で同時連載しており、多忙のため頭がおかしくなりそうだったというが、アシスタントから「先生は元からおかしい」と言われて逆にやる気が出てきたという。(wikipediaより)

僕は押切蓮介の長い読者ではない。Kindleで読み始めたころだから、5年くらい。

文化的に資本の乏しい中流家庭。文学少年でもなくリアルな社会でも抜きん出たところのない冴えない若者時代を送った押切蓮介清野とおるは、コツコツと自分のスタイルを洗練させ、自分の才能を開花させた。
清野とおるはあくまで世間を軽やかに受け流す作風で、押切はふつふつとたぎる怒りを爆発させる作風で。*1

押切蓮介の作品には、常に怒りがあり、その怒りが、作品に活力と命を吹き込んでいる。
80年代の斜に構えた冷笑文化で育った僕には押切の熱量がまぶしいくらいだ。

ミスミソウ』も『サユリ』も、その暴力性が色濃くでた作品。

ミスミソウは、田舎に越してきた家族の話。転校してきた子がイジメにあい、いじめがエスカレートし、家に放火されてしまう(放火の実行犯は、いままでいじめられていた子が、いじめの実行犯との共犯感情のあまり暴走するというのが救われない話)家ごと焼かれて家族も死んでしまう。

サユリは、田舎の一戸建てを購入し、越してきた家族の話。シャイニングのようだが謎な理由で一人ずつおかしくなって、死んでゆくという。

理不尽な暴力、逆らえない超自然の力に翻弄される一般人。
崩壊する家族。家族愛は、一見無力であるかのように描写される。

だが、押切作品は、ただ虐げられるだけではなく、反撃するのだ。
規格外の反撃は、主人公に内在していた暴力性であったり、メンターとなるような、力そのものの体現者のような存在によってなされる。
また女性も、こういうストーリーの鍵となる。
女性の説明できない未知なる部分が、押切蓮介の好むモチーフである。もしくは、純粋な暴力性。それこそ刃牙範馬勇次郎のような。

押切作品ではこのモチーフが執拗に繰り返される。反撃こそが彼のアイデンティティに関わることなんだと思う。村上春樹が、極めて個人的な事情から、同じようなモチーフの作品を生み出し続けているように、押切のこだわりは、多分ここなのだ。

ハイスコア・ガールだけは、そういう暴力性が希薄な作品だと思う。
halfboileddoc.hatenablog.com

ミスミソウ』『サユリ』は、上位の押切氏得意な暴力描写を「緊張と緩和」を上手にリズムを挟んで描いている。
多分押切氏にとってはあまりストレスのなく量産できた作品なんだと思うね。

焔の眼 : 1 (アクションコミックス)

焔の眼 : 1 (アクションコミックス)

『焔の眼』もStayhome時代に読んでみたが、これはちょっと舞台が荒唐無稽すぎて、歴史好きの私にはあまりストーリーが入って行きにくかった。ただ、モンゴル人のチンギス・ハーン時代の残忍さを現代に引き写して情け容赦ない敵側を構成する、というのは、かなりうまいやり方だったんじゃないかなあと思う。

*1:個人的には清野とおるに先に出会ったので、清野から見るブレない押切像が、押切の最初のイメージだった。しかし清野とおる壇蜜と結婚か…でもそれもおかしくないくらい気遣いのひとだもんな、とは思う

『雑草はなぜそこに生えているのか』

オススメ度 100点
最終章でさらに追加 150点

「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく、おもしろいことをまじめに、まじめなことをゆかいに、そしてゆかいなことはあくまでゆかいに」(井上ひさし

雑草について、あますところなく語り尽くした一冊。

・雑草は「強い」というイメージがあるが、実はそんなに強くはない。特に植物同士の競争には弱い。
・森の中には雑草は生えない。
・雑草が強いのは、草の生えていないところに生え始める「一次遷移」「二次遷移」にて主要な役割を果たす。他の植物に先駆けて生える「パイオニア植物」としての性格をもっている。
・雑草をなくすもっともよい方法は、雑草をとらないこと。雑草をとることは遷移の進行を止めるもしくは元に戻すことなので、雑草にとっては好環境。そのままほうっておくと、他の植物との競争にまけていなくなってしまう(その代わり、その土地は森になってしまう)
・雑草は不良環境下においても種子を残すが、好適環境下においても種子を量産することができる
・黄色い花はアブを受粉のパートナーにしている。紫色の花はミツバチをパートナーにしている(おそらく紫外線を目印にしているのではないか)ミツバチは他の虫よりも、狭い穴に入り、後ずさりする能力に長けている。紫の花がすべて奥まったような構造をしているのは、ミツバチだけが蜜に到達できるように進化している
・西洋タンポポと日本タンポポの違い
帰化雑草の環境はアウェイゲーム。成功している帰化雑草はパイオニア植物の性格をもっているものが多い。
セイタカアワダチソウ(根から毒を出して地域を独占する)→最近は周りの植物も耐性ができ、セイタカアワダチソウの害虫も帰化したため、最近はセイタカアワダチソウの大繁殖は少なくなった
・雑草イネ(非脱粒性の喪失)
・ガウゼの法則(ナンバー1しか生きられない)→ニッチの話

私は植物についてあまり詳しくはないので、こういう新書でも勉強になるなあと思った。
halfboileddoc.hatenablog.com

ちなみに、植物のCSR戦略、一次遷移・二次遷移は、他の分野の理解にも役立ちそうに思った。
植物の成功要素を3つの要素にわけている
C:Competitive=他の植物との競合に強い
S:Stress torelance=ストレス耐性 (乾燥・日照不足・低温などの不適環境に強い)サボテンや高山植物など
R:Ruderal=予測不能な環境の変化に強い

これ、ビジネスの世界とかでも応用できそうな。
例えば大会社のエリート社員は C優位タイプ。中小企業の年収 300万層は、S優位タイプ。
個人事業主フリーランスなどはR優位タイプ。とかね。

また、例えばジャズ文化とかでいうと、東京・大阪などの大都市は植生の遷移が完了した森のようなもの(多様なマーケット)、僕の住んでいる地方都市は、プロの専業ミュージシャンが生存するのはギリギリ厳しい一次遷移直後の草原のようなものか。
地方都市に受け入れられるのは、都会のC優位タイプではなくて、R優位タイプのミュージシャン、ということになるだろうか。

また話は変わるが、学会なども新分野の新興学会と、昔からの学会では、ありようがことなる。例えば、肝臓分野でいうと「肝臓学会」は遷移が進んで森林化した状態であるし「肝がん分子標的治療研究会」などの新興学会は、雑草の生えた草本植物が主体の草原に似ている。
おそらく、古い学会での振る舞い方と、新しい学会での振る舞い方では、その適性が異なると思われる。

みたいな色々なことを考えさせられる本だった。
ちなみに最終章のところで、自分の学者人生とか関わる人とのエピソードがさらりと触れられていたのだが、これが大変によかった。
理系の人は、この章だけでも読む価値あると思います。

『巴里のアメリカ人』

オススメ度 70点
リファレンス度 100点

私はアマチュアジャズマンなのであるが、ジャズのスタンダード曲の多くは昔のミュージカルの人気曲を題材にしているのである。
アメリカのショウビスの最高峰はミュージカルだ。
ガーシュインとかコール・ポーターなどの名作曲家達が意匠を凝らした曲を量産し、最高級のダンサー・俳優、ミュージシャンが集まって、絢爛豪華なショーを繰り広げる。
まさしくアメリカ文化の一つの到達点。

ミュージカルそのものは1920年代から隆盛を誇るのだが、
1950年代から1960年代には、そういうミュージカルを題材にした映画が量産される。
ざっと挙げてみると、

巴里のアメリカ人 1951年、
雨に歌えばが 1952年、
ウェスト・サイド・ストーリーが1961年
マイ・フェア・レディが1964年
サウンド・オブ・ミュージックが1965年

巴里のアメリカ人は、こういうミュージカル映画リバイバルの嚆矢。
このStay Home時代、時間があったので、古典にたちもどる意味で観た。

まあ、面白いかどうか、といえば、やはり古典として受け止められるような作品で、ストーリーラインはシンプル。
演出やカット割などもシンプル。*1
'S wonderful
I got Rhythm
Our love is here to stay
あたりが、いまでもジャズのセッションでよくやられる曲ではある。

しかし、ミュージカルというのはやはりものすごいね。

AN AMERICAN IN PARIS ('51): "I Got Rhythm"

音楽と劇、ダンスの総合芸術なんだよなーと改めて思った。

ラストの18分の脳内ダンスシーンは、大変な苦労をして幻想的なセットを組んでいるけれども、こういう脳内風景に関してはCGを使った現代の作り方には叶わないなとは思った。

個人的にはジーンケリーの、ちょっと大味感もある身体つき(胸板の厚さとがっしりした腕)が好き。
いかにもアメリカ人!って感じなので。*2
フレッド・アステアのダンスよりもガサツな感じではあるけど、ジーン・ケリーの「雄」感には憧れる。
生命の躍動感という意味では、ジーン・ケリーの方が僕の琴線に触れるのかもしれない。

*1:反対に、肝心のミュージカル部分は、爛熟期にさしかかっていることもあり、相当完成度が高い

*2:僕はゲイではないのだけれど、ジーン・ケリーの大味な胸板に抱かれるのは、結構いい気持ちなんじゃないかと思う