半熟三昧(本とか音楽とか)

半熟ドクター(とはいえ気がつくと医師20年選手だけど)の読んだ本とか音楽とか

『会計士はみた!』

オススメ度 100点
キーエンスすごい度 100点

会計士は見た!

会計士は見た!

「家政婦はみた」のパロディですよね。
会計士が、公開されている企業の財務諸表を眺めて、企業の注力している部分とか、企業の「経営意思」を解き明かす、という内容の本。
とにかく軽く読める割に、内容はそれなりに深い。

私は医療の人間で、財務側から企業を評価する、ということはそれほど長けているわけではない。
もちろん門外漢であるからこそ、一通りの財務諸表の読み方とかそういうのは勉強はした。
病院や介護関係の財務はある程度読めるとは思う。
でも、財務諸表そのものから企業を見透かすというほど、常日頃から財務諸表をみているわけではない。
僕がいつもやっているのは、自分の組織の財務諸表を恥ずかしくないものにする、という作業だけだ。
要するに僕は財務諸表を自由自在に読影できるわけではないのだ。
うわっつらの知識であり、自分の血肉になっているとは言えない。

だから、こういう思考作業をできる会計士・税理士はすげーなー、と思う。

ソニーの経営の力点の話、大塚家具、コジマデンキと日産の人員リストラの話、キーエンスの経営方針。
スカイマークキャッシュフローをおろそかにした倒産事例と江守ホールディングスの粉飾決算(b/sはともかくキャッシュフロー決算書はごまかしが効かない。この二事例はいずれもキャッシュフローの重要性をメッセージとしている。たしかに赤字でもキャッシュフローさえ回ってれば会社は潰れない)、東芝の経営難の話など、社会的にも注目された企業の財務分析をすることで、
定性的、感情的なマスコミ報道と、その実勢を冷静に対比しているところが、なかなか、うまくもあり、面白くもありました。

唯一報道とは無縁の「キーエンス」については、ファブレスかつ問題解決型のコンサルティング、禁欲的な経営陣(ここにはいろんな意がある)を行うという企業のあり方をとりあげ、手放しの賞賛。
キーエンスといえば、経済誌で「年収の高い企業ランキング」で必ずあがってくる企業、というイメージしかなかったが、確かに経営のやり方は堅実かつ禁欲的だと思った。

みんなが興味を持つイシューとして他の章はあるが、このキーエンスの章だけは筆者強く紹介したかったんだなと思った。確かにキーエンス、見直した。

『知られざる皇室外交』

オススメ度 80点

知られざる皇室外交 (角川新書)

知られざる皇室外交 (角川新書)

両陛下は生まれながらにして重荷を担い、…他者が下した決断の重みを背負ってこられねばなりませんでした。
(アキノ大統領)

私はどちらかというと考え方としてはリベラルに属する人間なのだが、皇室に関しては別で、天皇制存続および皇族応援である。

イデオロギー的な理由はともかく、完全に属人的な理由、つまり現天皇陛下および先の天皇陛下の人柄によるところが大きい。

皇室が外交にどれほど大きな影響を与えているのか、というのを描いたのが本書。
・政治や外交の論理をあえて排除し、賓客に上下の区別をしていない
・首相が何度訪問しても不可能だったことを天皇が訪れることでなし得たことは少なくない

皇室は日本の元首でありながら、国政・外交への関与が実質認められていないからこそだとは思うが、首相と天皇の使い分けがうまくいっているということなのだろう。
ざっくり総論でいうとそうなのだが、
具体的に、対フランス、オランダ、イギリス、フィリピンパラオサイパンなどの戦地への慰霊の旅の足跡を、皇室に近侍していた筆者が回想する。

皇室の方々は要人との外交は非常にきめ細やかかつ誠実で、なおかつ温かみを感じさせるもの。
もともと対日感情が好ましくない国に対しても誠実な態度を続けることで、気持ちが雪解けてゆく。
これが「皇室外交」とよばれる由縁なのだが、個人的には、そうしたすばらしい皇室の方々の賓客への応対を利用しすぎていないか、ということと、皇室外交以外の外交との協調がもうちょっととれないか、ということは少し思った。

『ぼくと三本足のちょんぴー』小田原ドラゴン

オススメ度 100点
食い物への食いつき描写が怖い度 100点

小田原ドラゴン氏の著作は『チェリーナイツ』以来愛読している。僕のTwitterのアイコンも氏の同作より氏が描くキアヌリーブスを使わさせてもらっています。
チェリーナイツの感動的なバンギャ編につづいて、宇宙戦士となって戦うワイルドチェリーナイツ、その後帰ってきたチェリーナイツRと、連載中は大変好きであったが、ワイルド〜はKindle化もされず、Rに至っては単行本化もされていないという悲しい事態に。

『ロボニートみつお』は結構面白かったし、チェリーナイツ関連はぜひ単行本化してほしい。あれは全部あわせて『チェリーナイツ・サーガ』なので。
halfboileddoc.hatenablog.com

さて氏のTwitterのフォローもしていると、3本足の小型犬ちょんぴーは知っていたが、コミックスも出ているので、2巻発売の宣伝をきっかけに読んでみたわけです。

独身『貴族』の小田原ドラゴン氏が、犬を飼って一緒に暮らす日々。
感情表現の苦手な独身男性が、やんちゃすぎるメスの仔犬に翻弄されるさまは、物語としてはよくあるものではあるけれども、氏の穏やかで暖かな性格もほのみえる。

表現者ならではのクールな視点も含め(口をなめないように、としつけたけど、口以外の顔面全てを舐め回すようになってしまったけど、事故をさりげなく口をちょこっと舐めるちょんぴーに対してのツッコミなど秀逸)

ちょんぴーが3本足になったくだりは、僕は事故となのかと思っていたけど、腫瘍だったんですね…
幸い今の所再発なく人生、いや犬生を謳歌しているようですが。犬と二人で車中泊で過ごす北海道旅行なども、犬への愛が感じられ、とてもいいです。

一人で生きている単身男性(女性)は、みなペットを飼えばいいのかもしれない、と思ったりもするが、多分そうすればますます少子高齢化に拍車をかけてしまうんだろうな。*1

小田原ドラゴン氏の著作の中では間違いなくもっとも一般受けしそうな作品。
できればヒットしてほしい。そしてついでにチェリーナイツのワイルドとRもKindle化してほしい。

だが、ちょんぴーのエサ代にお金がかかるのかもしれないが、1100円ちょっと高くないか?それとも出版不況の昨今、買う人に対してはこれくらいの値段をつけないとペイしないのか。

*1:政府が、犬を配給し、三年経ったらまた別の所に持っていくという政策はどうか。みんなペットロスでさみしくてさみしくて誰かと結婚してしまうかもしれない。変なディストピア

ケアソク

オススメ度 90点

shop.caresoku.com
田中圭一の商業PRマンガがあまりにも説得力があったので、買ってみた。

www.caresoku.com
こちら。
こういうのを衒いもなく描けるのって才能ですよね。

というわけで、ちょっと買ってみました。

夫婦で買ってみて、使った感想。

  • すごい複雑な縫製。
  • 確かに足の指が開く感覚は、すごくいいと思う。
  • ただ、姿勢が良くなるとか、マンガのイメージほどにの衝撃はなかった。
  • 最初に履くときにすげえ時間かかる。火事になった時に、ねぼけてこの靴下を履くのはやめよう。逃げ遅れる(ただ厚手だから、靴履かなくても足の防御がある程度できるかも)
  • かなり厚手なので、指の位置のオリエンテーションがつきにくい。
  • かなり厚手なので、靴を脱いだ状態でフローリングで履くにはかなりいい感じ。一方、今までの靴を履く場合には靴下の厚手さがかなりネックとなる。ワンサイズ大きい靴ならいいだろうが、タイトなサイジングの靴はこの靴下では不可能。
  • かなり厚手なので、一旦雨などで濡れてしまうと、不快感はんぱなかった。
  • なので洗濯して干すとすげえ乾きにくい。
  • 干す時もしっかり形を整えてから干さないとえらいことになるそうで、なにかと気を使う。


というわけで「ケアソクすげえ」という感想よりも「田中圭一すげえ」という感想が現時点での正直なところ。

でも、一体型5本指ソックスには確かに五感に訴える何かがある。
高級な万年筆の書き味みたいな、単純に生理的快感をうながす何かが。

靴履いてる仕事の人には向かないが、家庭で靴なしで家事とかしてる人にはオススメじゃないかと思う。

『40代から人として強くなる法』田口佳史

やべえ。10月は意外に忙しく更新が滞りがちだった。

オススメ度 90点

40代から人として強くなる法 (単行本)

40代から人として強くなる法 (単行本)

「水のような精神を持つ」
ということです。
「上善は水のごとし。水善く万物を利して争わず」


東洋思想を学び、転じて現在は東洋思想に関するコンサルティングを立ち上げて成功している人。
ま、簡単に言えば東洋思想の老子荘子韓非子などの言葉をとりあげて、実際のビジネス経験と照らし合わせて語っている本。

その意味で、書いてある内容の方向性はまあまあ予想がつく。
ただ、本にまとめるやり方として、難しすぎず、しかし一方的すぎない。
かなり丁寧にカットバックされているなと思った。

テクノロジーとかとは無縁の、人間関係論とかリーダーシップ論に関しては、東洋の哲学とも言える老荘思想は、我々のありようとかなり親和性があると思う。

40代で、傲慢にならない、慢心しない。柔軟かつ謙虚でいる。
そのためにも生命力の源泉としての「水」のすごさ、強さ、すばらしさを認識し、水のような生き方を目指す。

一章の文字数は短く、かなり現代ビジネス本らしく、読みやすい作りになっている。

現代のビジネス本に頻出するキーワード、「レジリエンス」とか「全体最適」「自己投資」「大局観」のような
概念も、きちんと古典には現れている。まあ昔も今も、人のやることなんてだいたい同じなんだとは思う。

古典というフィルターを通して、現代ビジネスの諸相を見つめると、普遍的なものはいくつか見えてくるのは、ある種当然ではあるが、面白いことだよなと思う。

以下、少しだけ備忘録:
・好調であればあるほど「慢心」という悪魔の手にからめ取られる危険が増します。
・「40歳からは、特定の人だけと付き合ってはいけないよ」「さらに自分の世界を広げないといけない」
・「功成り名遂げて身退くは天の道なり」
・「男坂」と「女坂」
・「その生を生とするの厚きを以ってなり」(生に執着していると長生きできないよ)
・「四端」惻隠(困った人をみたら気の毒に思う)・羞悪(不善を恥じる心)・辞譲(譲り合いの精神)・是非(正しいか否かを判断する精神)。四端の心無きは人に非ざるなり
・「知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ。知者は動き、仁者は静かなり。知者は楽しみ、仁者は生命長し」

ただ、古典の思想でいえば、老荘思想儒家韓非子など、それぞれの思想は、相容れないところもあったりする。中国古典思想という、一枚岩で盤石な整合性のある論理体系が存在するわけではないのである。
筆者は古典に非常に強く、こうした思想を縦横無尽に切り取っているわけだが、当然そこには筆者のバイアスが入っている。それは読み手として意識した方がいいんじゃないか、というのは少し気になったところ。
(ささやかな経営者なるものの端くれである私がみるかぎり、別に問題ないとは思うけどね。)
逆に古典からの抜粋だからといって、他人の褌で相撲をとっているわけではなく、取捨選択作業に作者のクリエイティビティは十分に発揮されていると思う。

『うちのクラスの女子がやばい』 衿沢世衣子

オススメ度 100点
甘酸っぱ度 80点

何かで紹介されているので読んでみた。
面白かった。

1年1組はどこにでもあるごく普通のクラス。だけど、他のクラスとはちょっとだけ違うところがありました。女子生徒がみんな、「無用力」と呼ばれる、まるで何の役にも立たない、それも思春期だけしか使えない超能力を持っていたのです――。思春期女子はへんてこで、それがフツーで、みんなかわいい! 衿沢世衣子が描く、思春期限定・ちょっと不思議なハイスクール☆デイズ!

ちょっと変わった設定の、でもふつうの物語。
そういう意味で、ストーリーテリングとても巧妙だと思った。

中学生から高校生の女性(男性もだが)で、人生の中で一瞬輝いている人っているもので、そういう人は、昔から文学でも描かれていた。
まあ、昔は単純に「コケットリイ」みたいな性的な魅力としてとらえられてはいたけれど、本作の「無用力」という、役に立つのか立たないのか微妙だけれどもなんだかすごい能力、という形。こういう形で描く設定が、もう、うまい。

だって、実際の世界でもこういう若い子いるもんね。ものすごい可能性を秘めているけど、普通の生活をしてる子、いるいる。
若い頃は、才能にひっぱられているそういう子も、20前後で、能力を失う、というか、自分の能力と才能と折り合いをつけ、能力を御することができて、「ふつーの人」になっていくのだ。

学園モノの甘酸っぱさというか、そういう思春期のもやもやが、とてもリアルに追体験できるので、暗黒の学生時代を送っていた自分は死にそうになった。ふんふーん。

絵は確かにややわかりにくいのかもしれない。
表紙絵はどれも面白かった。過去の名画をモチーフにしている。
1巻:民衆を導く自由の女神ドラクロワ
2巻:ヴィーナスの誕生ボッティチェリ
3巻:ラス・メニーナス(ベラスケス)

『漂流』

オススメ度 80点
ついに島の生活で煩悩を取りきれなかった長平の勝ち度 100点

漂流 (新潮文庫)

漂流 (新潮文庫)

Kindleのセールかなんかで目に留まった。
そして安定の吉村昭
期待を裏切らない。

Kindleを使いたての頃に、青空文庫からKindle文庫化されたやつで、
無人島に生きる十六人」という本があった。

無人島に生きる十六人 (新潮文庫)

無人島に生きる十六人 (新潮文庫)

大嵐で船が難破し、僕らは無人島に流れついた!明治31年、帆船・龍睡丸は太平洋上で座礁し、脱出した16人を乗せたボートは、珊瑚礁のちっちゃな島に漂着した。飲み水や火の確保、見張り櫓や海亀牧場作り、海鳥やあざらしとの交流など、助け合い、日々工夫する日本男児たちは、再び祖国の土を踏むことができるのだろうか?名作『十五少年漂流記』に勝る、感動の冒険実話。

これは明治時代の漁船が難破して漂流した話だが『漂流』は江戸時代。

廻船が難破・漂流してしまった話。

司馬遼太郎の『菜の花の沖』が詳しいけど、江戸時代は鎖国策をとっていたがゆえに、外洋航海のできる船は建造を制限されていた。
halfboileddoc.hatenablog.com
だから、江戸の流通を担っていた廻船群は、外洋の波濤に弱く、櫂や舵が荒天で折れてしまうとなすすべもなく漂流してしまう。そして鎖国である以上、海難事故から生還することは難しかったようだ。

この本の主人公、長平もそのようにして、漂流してしまい、運よく小笠原諸島鳥島に漂着する。
同じ船で漂着した四人の仲間のうち三人は島の生活に耐えきれず死んでしまい(名言していないが、おそらく脚気ではなかろうかと思った)一人で生き抜く。
やがて同じようにして漂着した大阪からの船員、薩摩の廻船の人たちと、無人島で生き抜いていくのだが、
いくらまっても助けの船がこない。そもそも航路上にないのだ。船影など現れるはずもない。

10年ほど経って悟る。
「これはもう脱出するしかない」と決心する長平。

しかし、島には木も生えていないし道具もない。
漂着する船の木切れ・流木を集めて加工し、船を作り上げる。
釘もないが、錨が打ち上げられたのが幸いで、その鉄を釘にして船材の調達に成功する。
なんとか島を離れることに成功し、八丈島にたどり着くまでは、圧巻の一言だと思う。


ものすごいことを成し遂げているのは間違いない。
けれども、その成功は世間に喧伝されるようなものでもなく、故郷に帰っても、白い目で(四人で漂着し、一人だけ生きて帰ったからね)見られる一生だったようだ。

誰にも賞賛されない、英雄的な行為。

子供の頃、人知れず遠くの街まで行き、帰ってこれた時のことを少し思い出した。