半熟三昧(本とか音楽とか)

半熟ドクター(とはいえ気がつくと医師20年選手だけど)の読んだ本とか音楽とか

『騎士団長殺し』村上春樹

オススメ度 100点
ジャングル通信のパワーワード度 100点

騎士団長殺し 第1部: 顕れるイデア編(上) (新潮文庫)

騎士団長殺し 第1部: 顕れるイデア編(上) (新潮文庫)

騎士団長殺し 第1部: 顕れるイデア編(下) (新潮文庫)

騎士団長殺し 第1部: 顕れるイデア編(下) (新潮文庫)

いまさら、騎士団長殺しですよ。

僕は今までの村上春樹のほとんどの著作を読んではいるけれども、新刊がでてもすぐは買わない。
我慢して、待って、待って、文庫化されて、さらに少し時間が経ってから、読む。

なんとなく、流行に乗るのがいやなのかな。
ノルウェイの森にでてきた永沢先輩の「死んでから年数が経った作家の本しか読まない」というルールとまではいかないが、少しそんな心情だ。
少し寝かせてから読む。

もっとも、こういうSNSに感想とか書くのであれば、刊行直後に読むのがよろしいですがね。

* * *

読み始めた。
ふーん。ふーん。おもろい。
文庫で4巻、ほぼ1日で読み終わった、頭がくらくらするけど、相変わらずの面白さだった。

さすが村上春樹。期待を裏切らないストーリーテリング
悪い意味でも期待を裏切らないおんなじような話。

なんか、村上春樹を読み慣れていると『13日の金曜日』の「こいつ序盤にジェイソンに殺されそう」とかわかるように、「こいつ死にそう」「こいついなくなりそう」とか「こいつとはセックスしそう」とか、なんとなくわかってくるよね。

我々がハルキ的世界に慣れていることを差っ引いても、今回は作中の解説が多くあり、親切すぎる描写が気になった。
「私はメタファーです」というか?イデア、もそうだけど。
そういうのは言わないのがハナなんじゃないかと思った。

あと春樹の渡辺淳一化が気になると、これには書いてあったけど、
確かにカジュアルすぎるセックス描写(といってもあっさりしたもんだけど)が気になった。

若い頃の著作では、やたらとすんなりとセックスする主人公(リア充か?)の行為に、一応は文学的な意味づけみたいなものがあったけど、それもない。*1
昔は「必然性があれば脱ぎます」と言っていた若手女優が、もう必然性あろうがなかろうがまあまあ脱いでるような寂しさがある。

* * *

30代から40代の男性にとって、色々身につまされるような描写が多かった。
ホコリをかぶったままの僕の車、の描写のくだりは、すごく共感したし、(愛車ゴメン!)
今回の主人公は、今までよりも流されてる感が強かったように思う。*2

とりあえず、人妻出会い系サービスに「ジャングル通信」と名付けられたものがあったら、ぜひ利用してみたいと思ったな。

ジャングル通信……(笑)
なんか妙なリアリティがあった。

今回、通読して数週経った時点では、僕の頭にはジャングル通信しか残っていなかった。

ジャングル通信

というか、ジャングル通信でもうちょっと喋っていいですか?
というか、話はかなり逸れるのだが、ジャングル通信。

これを村上春樹が料理したら、「騎士団長殺し」になる。

では、村上龍に料理させたら、

ー政府要人や外国人を主に相手にする高級売春クラブ「ジャングル通信」。
しかしそこは国家公安委員会が管轄する防諜組織だったーー

みたいにならないだろうかな。
エロ、グロ、洗脳SM描写大ありのチャーリーズ・エンジェルスみたいなやつ。

*1:ものすごい擁護すれば、昔のような貞淑性も社会の中でなくなってしまったからかもしれない。

*2:ま、村上春樹の小説の主人公が基本的には受動的なのは今にはじまった話ではないけど

『武器になる哲学』

オススメ度 100点
これは会社指定の本にしたらちょっとみんな教養あがるんだろうか…度 100点

山口周、今まで読んだ本でハズレがないのはおそろしいことだ。

まあ、リーダーに教養が求められる理由、

  • 無教養な専門家こそ、われわれの文明にとって最大の脅威
  • 専門家というものは、専門的能力があるからといって無教養であったり、諸々の事柄に無知であったりしていいものだろうか


halfboileddoc.hatenablog.com
jazz-zammai.hatenablog.jp

哲学というと、基本的に「哲学史」的な編年体で書かれた教科書がほとんどだ。
普通の哲学の本は、ソクラテスプラトンアリストテレス、と並んで、即爆睡。


これは逆引き辞典のようなもので、仕事や人生で悩むようなトピック別にキーワードを編集し、50のインデックスにわけて紹介している。

このカットバックが、非常に気持ちいい。
というか、めっちゃ有用。
言葉のラベリングって大事だよな、と思う。

* * *

目次からみてみると…

ロゴス・エトス・パトス(アリストテレス
予定説(ジャン・カルヴァン
タブラ・ラサジョン・ロック
ルサンチマンニーチェ
ペルソナ(ユング
自由からの逃走(エーリッヒ・フロム)
報酬(バラス・スキナー)

とこんな感じだ。
「哲学」っていう知的体系をまず修めなさい!という感じでもない。
時代も、提唱者もバラバラ。ユングとかスキナーというのは、「哲学」といっていいのかさえわからない。
 まあ、プラクティカルなビジネス上の実務から離れた概念化された高等概念を「哲学」という言葉でくくっている。

要するに、ユーザ・フレンドリーなのだ。(多少の誤謬はあれど、有用性を何よりも重んじているのだと思う)

以下、キーワード(備忘録)

  • 世界はどのように成り立っているか、Whatの問い=世界はどのように成り立っているのか、とHowの問い=私たちはどう生きるべきなのか?。Whatの問いにはつまらないものが多い。
  • 変化には必ず否定が伴う
  • 予告された報酬が動機付けを減退させる
  • ルサンチマンへの反応(原因となる価値基準に隷属するか、反抗するか)
  • 自由とは堪え難い孤独と痛烈な責任を伴うもの

いや、あまりにもタグが多すぎて、なんども読み直した方がいいと思う。KIndleで読んでいるんだけど「マイノート」で線引いた箇所、他の本の4-5倍になってしまった。
ここに書かれているインデックスを当たり前に理解できていれば、現代の教養人と言えるだろうなというくらい、総花的に盛り込まれていると思う。

底本にするのにちょうどいい本だと思う。
すげーなー山口周。

『ケーキの切れない非行少年たち』

オススメ度 80点
割と「不都合な真実」含まれている度 90点

ケーキの切れない非行少年たち (新潮新書)

ケーキの切れない非行少年たち (新潮新書)


「不良」という言葉は、昭和の世代にとっては 素行不良という意味だと思っていたが、
この本を読む限り、不良=ポンコツ と言う、本来の工業用語だったのかもしれないな、と思い直してしまうほどの衝撃があった。

要するに「不良」は、体制反逆者か、社会不適合者の方が真実なのか、ということ。
もちろん、その二つの要素が混在しているのだろうとは思う。
70年代から80年代には、「不良」という言葉は「体制反逆。まあ社会不適合みたいな要素もあるけどね」みたいなストーリーを社会は文脈として受け取っていたように思う。
これは、戦前の共産主義活動、ブルジョア階級の知的エリートが共産主義に共鳴し社会の低層に潜っていった歴史的文脈(この人たちは、体制反逆者だった)を想起させる効果があったからなのじゃないかと思う。

だけど、現実は、社会不適合が前面にあり、受け入られるストーリーとしてこうした体制反逆を語っている可能性はある。
体制反逆心というものは、誰の心にでもあるはずだからだ。
僕にだってある。

でも現実は、そんなストーリではないようだ。
要するに、知的に問題がある一群が、少年犯罪を引き起こしている。
犯罪のバックグラウンドは、社会に対する反抗、みたいな階級主義的なものではなくて、個人の能力的な不全感とフラストレーションであって、そこには発達障害のような要素が多分にある。ということがこの本の趣旨だ。

* * *

だから、解決方法は「反省」や「悔悛」ではなくて、社会で適応できるための、スキルをつけさせること、である。
という主張は、なるほどとは思う。
しかし、因果応報主義というか、目には目を主義の考えから解き放つのはなかなかむずかしいんだろうなあ、とも思った。
システム論としてみると、少年犯罪者を無くし、減らすためには、厳罰ではなくて、社会適応させるための訓練であろう、というのは容易に理解できる。ただ、SNSも蔓延する非寛容な現在の社会では「犯罪を犯した人間が『のうのうと』普通のくらしを享受している」ことに対して、ものすごく風当たりが強い。
むしろ最近は、人が裁かれるのは、司法において、はなく、マスコミとSNSなのだ。
 そこでは、一度犯した罪は二度と消えることがない。

じゃあ、犯罪者は全員死刑にするの?それも現実的ではないけど「善良な市井人」は自分に関係がないし、本音ではそうあれかし、と思ってさえいる。

なんすかね、戸籍とか名前とかリセットして再デビューする仕組みを作りませんかね。

『大家さんと僕 これから』

オススメ度 90点
ほろり度 100点

大家さんと僕 これから

大家さんと僕 これから

halfboileddoc.hatenablog.com

ヒットした前作はおおよそ一年前に読んでいたのだよな。
大家さんも結構なお年で、漫画中で二度目の骨折をしてまた入院。
そして、だんだんフレイルで、ADLも落ち、食事もとれなくなり、遂にお亡くなりになられる。

前作でも、ご高齢な大家さんは「自分はもういつ死ぬかもわからないのだから」という、死を身近に感じつつ、しかし案外元気でしたたか、というところにペーソスとおかしみがあった。
本当に亡くなられてしまう、となると、これはもう全くシリアスな話である。

それを見守るしかない矢部の筆致は、あくまで優しく、切ない。
あくまで、ご本人の元気な時の様子を踏まえて、暖かく描かれる死の前後の描写は、グッと胸にせまるものがあった。前作での試行錯誤と蓄積があるので、こういう大きく場面が展開するところでも、筆がブレないのはすばらしいと思った。

* * *

私も、地域密着の医療をしていて、特養など介護施設を持っていて、看取りも日常的にしている。

あくまで医療というフレームという目で見ると、90前の老年の女性が、何度か骨折し寝たきりになり、最後は食事がとれなくなり、亡くなる。
そういう、よくある話にすぎない。
でも、その背景にある人生を透かしてみると、こういう感情を揺さぶられるストーリーは、誰にでもあるのだ。

ナラティブ・メディスンという言葉があるが、我々はやはり人間らしくあるために「ストーリー」を必要とする。

患者さんを看取る時に、医療者としては、経管栄養をしますかしませんか?
とかそういう生々しい選択を家族の人にしてもらう。
家族の人も決め切らないことがよくある。
確信を持って胃瘻などはオススメしないことが多いのだが、それでも「少しでも長く生きて欲しい」という風に家族が思っていて、それゆえに「胃瘻をしなければ死ぬ」という字義に悩む家族も多い。

実は、こういう時に、今の現状をどんなに詳しく伝えても、医療の知識をどんなに正確に伝えたとしても、結論はでない(でるとすれば、それは医療者が押し切っているだけだと思う)。

ヒキのテクニックとしては「ところで、このXXさんは、どういう人だったん?」という話にそらす。
家族に聴いて、ひとしきり家族にこの人のことを紹介してもらう。
最初は、職業とか生地とかそういう事実。
それから、家族、関係性、性格、趣味嗜好など、その人の人となりがわかるような事を掘り下げてゆく。
そういう作業をしてゆくと、どっかで、その人の人生観がほの見えるような言にぶつかる*1
家族に愛されている人であれば、その人が1日でも長く生きることを家族は選択しがちだが、結果としてその人を苦しめることになる。


過去のその人の言動や考え方を掘り起こして、家族の中に生き続けるその人との対話をうながすと、今ものも言えなくなっているその人の考えを代弁してくれる。
時間はかかるけど、そういう丁寧な作業をすることが、人を人としてケアすることだと思うのだ。

んで、そういうストーリーが見えると、医療従事者も「XX号室の患者さん」じゃなくて、「長らく造園業を営んでいて、週に一度シュークリームを食べるのが何よりも好きだった山田さん」になる。

アウシュビッツ収容所では名前を剥ぎ取られて番号だけを与えられ、モノ扱いされた。
 それと逆のことをしなきゃいけない。

* * *

カラテカも、相方は反社の人とか闇営業がらみでなんか大変だけど、矢部はぼちぼちがんばればいいと思う。

*1:ぶつからない時もあるけど、その時にはその時なりのテクニックはある

『生きて死ぬ私』茂木健一郎

生きて死ぬ私 (ちくま文庫)

生きて死ぬ私 (ちくま文庫)

どんなに広大な風景の中に自分を置いても、結局、私は私の頭蓋骨という狭い空間に閉じ込められた存在にすぎないのだ、そのような重苦しさだった

脳科学者」というよくわからないジャンルのもじゃもじゃなおじさん、茂木健一郎

この人の初期の随想録というような感じの読み物。
エッセイというか、小説の風景描写の素描というか、そういうよくわからない、なんですかね思春期っぽいもわもわっとした文章が続く。
その感じは、いわゆる自然科学方面の人のタッチとは思えないような感じ。

まあ、自然科学系の論文は一定のセオリーにのっとって書くものだ。
極めて修辞学の領分が少ない文章に属する。
一般向けに何かを書こうとした時に、そういう自然科学系の書き方ではなく、自前の読書体験のストックをお手本にものを書かなきゃいけない。

そういう感じの自由さが垣間見えるスタイルではある。
かなりふわりとした人生論の断片のようなもので、本当に不思議な文章。
自然科学者としての自分と、ロマンチストとしての自分が同居している。

まあ、この作品の成功がよくも悪くも後代の彼のキャリアと文筆活動を規定してしまったとも言える。
こっちがうけ、求められるとなれば、こういう文章を量産するわけで、そういうマーケット事情が、彼の研究者としての方向性に影響を与えてしまったのかもしれない。

例えば、ゴッホにしても、なんかよくわからないけど、あっちでぶつかりこっちでぶつかりした挙句が彼の人生を作り、あの作品群を作り出したけれども、例えばオランダで、まあまあうまく立ち回って、幸せな結婚生活を送り、昼間はビジネスマン、日曜日は素人画家、みたいな人生を送った可能性だってある。

別の世界線では茂木氏もサイバネティクス理論とか人工知能などの最先端の科学の現場で活躍していたのだろうか…
いや、まあ知らないけど。


梅原猛の初期の著作集『隠された十字架』『地獄の思想』『哲学する心』

隠された十字架―法隆寺論 (新潮文庫)

隠された十字架―法隆寺論 (新潮文庫)

地獄の思想―日本精神の一系譜 (中公文庫)

地獄の思想―日本精神の一系譜 (中公文庫)

哲学する心 (講談社学術文庫)

哲学する心 (講談社学術文庫)

などに、読後感は極めて近い。

『バスタブに乗った兄弟〜地球水没記』『漫画ルポ中年童貞』

オススメ度 40点
女の子の造形の悪趣味なことと言ったら…度 100点

バスタブに乗った兄弟~地球水没記~(1) (アクションコミックス)

バスタブに乗った兄弟~地球水没記~(1) (アクションコミックス)


Amazonで、ヘビーに本とか買っていると、アマゾンも「お前こんなん好きなんちゃうの?」みたいな感じで、自分の購入傾向にそって、いろいろ勧めてくる。
そんな中に『バスタブに乗った兄弟』というのがあった。

ディザスターもので、洪水なのか、なんなのかわからないけど、東京が水没し、海には人喰いサメがうようよ。
そんな中、バスタブを船がわりにして、漂流する引きこもりの兄と、特徴のない弟。

そんな彼らの、旅行記
とかいうんですけど、まあひどい。そもそも設定はともかく、世界観やその世界なりのリアリティが全くない。
そして登場人物は、ルックスもひどいし、行動もひどい。崇高な人や利他的な人がほとんどいない世界。
この人にとっては世界はこう見えているんだ。これがリアルなんだ。
まあ、今の日本を正しく投影しているのかもしれない。

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登場人物が食うおにぎりでさえ、汚そうに見える。

なんかよくわからないけど『ノアの箱舟』を題材に、中世で教条的な小説が作られたら、こんな感じの面白いのか面白くないのかよくわからない小説ができそうだ。とにかく、ストーリーで見せるわけでもなく、ディザスターもののリアリティを追求しているわけでもなく、とにかくロウアーな人たちのロウアーな行動の描写が続く。
この世は地獄か。
でも、僕だってこの世界に放り込まれたら、こんな風に行動してしまうだろうな。
水一杯、パン一切れを奪い合うような極限状況に陥ったら、醜い行動をとらないことは、とても難しいと思う。

* * *

しかし、この絵柄はどこかでみたことがある…この逆撫でするような絵柄…
とおもって、過去のアーカイブをあさってみると『中年童貞』の作画担当の人だった。

厳密にいうと、この漫画と中年童貞では、ペンネームを変えているらしいが、こんな不愉快な絵柄、忘れられるわけもなく。

『中年童貞』は、「介護の現場に、コミュニケーションのとれないメチャやばい男性がおるぞー!」という本なのだが、
この童貞描写の、迫力がすごい。
フィクションなのに、なんか胸にせまるものがある漫画だった。
これはこれで、彼らは僕と地続きの世界に生きているけれども、ある種の極限状況にさらされているのは間違いない。
社会人としての経験がない(だけでなく、おそらくそうした人物は学生時代にも孤立していて、社会やコミュニティの恩恵をうけた経験がない)人は、
利他的な行動に対する成功体験がないのだろうと思う。
だから、利他的な行動を取れない。
そんな人が、対人援助職なおかつ女性の濃厚なコミュニケーションを所与のものとしている介護現場に入ったら…確かに考えうる最悪の組み合わせだと思うよ。

『人生を変える、お金の使い方。』

オススメ度 80点

人生を変える、お金の使い方。

人生を変える、お金の使い方。

換言すれば、あなたが美しくお金を使っていれば、あなたの人生も美しくなるということ

けっこうためになる話だったが、今ひとつ立ち位置がわからなかった。

筆者は、大学の時に本代に1000万の資金を当時、1万冊の本を読破した。
膨大な読書体験から深い教養が蓄積され、それが創作の源泉となった。
こういう言は、「有り金は全部使え」というホリエモンのエピソードにも似ている。
https://halfboileddoc.hatenablog.com/entry/2019/08/10/070000
自分に投資する意味でのお金は惜しむな、という、仕事人の自己投資の勧奨部分が、だいたい半分。
でも、自分の年収分程度の貯蓄はしておかないと、人生攻められないよ、という実際的な教訓も。
「「貯金」はもっともお金のかかる趣味で、最も無駄な趣味でもある」という皮肉は確かにむべなるかな。

あとは、社会におけるお金の様々な意味について、雑駁な人生論。
・お金はブーメラン。戻ってきた時には必ず人脈と人望の増減が生じている
・恋愛や友情において、あなたが振り回される立場でなく、振り回す立場になりたければ、あなたが断る立場になればいい
・金払いのいいクライアントは、従業員たちから例外なくバカにされて舐められていた。
・利益がでると社内で山分けするような組織では、お金でしか人が動かなくなる。大きな利益が出た場合にお客さまに還元した方がたくさんのお金となって還ってくる。
経営コンサルタントとして痛感したのは、会社がちょっと儲かったくらいで社員の給料を上げるべきではない、ということ
・「お金の問題じゃない」と叫んでいる相手は、お金で静かになる。
・天国から地獄へ突き落とされれば、相手は酷く傷ついて恨むものだ。だが、地獄から天国に上げると、相手は大いに喜んで感謝する
・どれほどあなたが運を高めても、たった一人の詐欺師と関わったために人生を台無しにされることがある。「ラクに儲かるおいしい話」を運んできた人とは二度と会わない
・圧倒的実力を持ち、なおかつ少し負けておくと、嫉妬も恨みもかわずにうまくいく。

ハードな環境でビジネスをしてきた人の、人生訓が多分に含まれるので、結構ためになった。
特に、「安易に給料を上げるとあとで感謝もされない(むしろあとで下げなきゃいけない時に恨まれこそする)というのは、自分の「甘さ」も含めて自戒すべきだと思った。
(僕はすぐ職員に還元しようとして周りに止められてしまう人なのだ)
金で人をスポイルすることは簡単なのだろう。
資本論やピケティの言は、あくまで理論経済学なのであって、経済のリアルな現場では、被雇用者に資本を配分することは、うまくいかないようだ。
それとこれとは、別。ということなのだろうか。
確かにリスクを取らなくして高収入というのは難しい話だとは思う。